敦煌。20世紀初頭、王円籙という一人の道士(道教のプロの宗教家)が、この小さな街の郊外にある遺跡・莫高窟の封印された1窟の中から、大量の古文書を発見した。彼は当局にこれを届け出たが、当局はまったく関心を示さず、適当に処理しておけと申し渡しただけであった。
その後、各国の探検隊(イギリスのオーレル・スタイン、フランスのポール・ペリオ、日本の大谷光瑞など)がこの街にやってきて、大量の古文書を王円籙から買い取って自国に持ち帰っていくのを見て、清朝当局はようやく古文書の価値に気がついたが、時既に遅く、古文書はイギリス、フランス、日本、ロシアなどに散逸してしまった後だった。これが、敦煌という街を一躍有名にした敦煌文献である。
なぜ、こうした古文書が大量に洞窟の中に仕舞い込まれて洞窟が塞がれたのか、正確なところはよく分かっていないが(内容から判断すると、要らなくなった文書をしまっておいただけらしい)、この文書がなぜ洞窟の中に封じられたのか、を巡る物語を描いたのが、有名な井上靖の『敦煌』という小説である。
小説『敦煌』は、約1000年前の、茫漠たるシルクロードを舞台に、歴史の影に生きた人々の息遣いを、飾り気のない文体で綴った、ロマン溢れる傑作小説である。
主人公・趙行徳は、科挙の試験を落第した後、紆余曲折を経て当時勃興していた西夏の兵士にされてしまうが、後に仲間と共に西夏に反逆して離反する。やがて彼は西夏の軍勢に追い詰められて敦煌に逃れるが、進軍する西夏の軍勢から仏教の文化遺産を守ろうと決意し、僧侶たちとともに古文書を莫高窟に封じる。そして、莫高窟に財宝が隠されていると勘違いして襲撃してきた商人・尉遅光(うっちこう)を撃退した後、侵攻してきた西夏の軍勢に飲み込まれて姿を消してしまう(物語の最後に、彼が更に西のどこかの国で生きているらしいことが示唆される)。
NHK特集・シルクロードを見た上、この小説を読んだからには、是非ともシルクロードを訪問しなければならない。私は西安を離れ、一路敦煌へと飛んだ。
(こりゃまた、ヤバいところに来たんじゃないか…?)
敦煌の空港に降り立った時、空港の周囲に何一つ建物も植物も見当たらない事に気づいて、私は少し驚いてしまった。建物自体は比較的立派だが、ミャンマーのバガンの空港より何もない。空港ターミナルを抜けて外に出ると、後は駐車場しかなく、建物も何もない。客待ちをするタクシーも無ければ、バスもない。売店もない。何もない。
先に空港に降り立った人々は、さっさと自分を待つ車に乗って去っていき、私は一人ぽつねんとその場に取り残されてしまった。
しばらくどうしようかと思案していると、一人の男性が「タクシー」と言って手招きした。駐車場に一台の車が停まっている。信用すべきかどうすべきかと一瞬悩んだが、誰にも英語も通じない中、彼に置いていかれたらどうやって移動してよいのか分からない。大人しくその車に乗り込むと、比較的適正な価格で市内まで届けてくれると申し出てくれ、きちんと目的地のユースホステルに私を送り届けてくれた。
市内に着くまでの間は、ミャンマーのバガンのような場所を想像していたが、市内に入ってみると、町並みは小さいながらもきちんと整備されており、バガンと比較しては失礼なほど立派な『街』であった。考えてみれば、これだけ寒くなる場所な上、シルクロード観光の要衝なのだから、バガンのような呑気な雰囲気の町なわけがないか、と考えを改めた。
ユースホステルに着くと、私はインターネットで早速敦煌の情報を調べ始めた。聞くところによると、敦煌には「隋さん」なる日本語が堪能な人物が居り、彼がオリジナルのツアーなども手配してくれるのだという。しかし、とりあえず空腹が勝ってきたので、私は隋さんに連絡するのを後回しにして、昼飯を食べに近所の市場「瓜州市場」に入った。
屋根付きの市場では、干しブドウなどの果物や、焼き鳥、衣類、糸、靴など色々なものが所狭しと並べて得られていた。その奥に、碁盤の升目状に麺や焼き飯などの安食堂が並ぶ食堂街が現れた。
(何食うかな…ここまで来たからには、地元の料理が食いたいよな)
と、食堂街の奥に入り込んでいくと、「新疆」との文字の書かれた緑色の看板が目についた。
(新疆ってこた、ウイグル料理が食べられるのか。こいつはイーじゃんかよぉ)
中に入ると、高校生くらいの女の子二人がいそいそと働いていた。その他、地元の漢民族風の客や、ウイグル人風の客が食事をつついている。
私が適当な料理を注文して待っていると、女の子が何かのノートを私のテーブルにそっと置いた。
(? なんだこれは?)
と、ノートを開いてみると、驚くべきことに、中には日本の旅行者たちが綴った日本語がびっしりと書き込まれていたのだ。
(こ、これは?)
と、店のドアに目をやると、ドアにも日本語で「旅人の家 いらっしゃいませ」という言葉がプリントされている。間抜けなことに全然気づかなかった。
ということは、ここはもしかして…。
そう思ったが、如何せん英語が通じないのであるから、店員さんにどう説明することもできない。とにかく昼飯を食べてから考えようと食事に手をつけていると、そこに一人の男性がドアをくぐって現れた。
「や、あなたですか日本人は? 私が隋です」
やっぱりだった。私は隋さんと、早速遭遇してしまったのであった。