2012年11月2日金曜日

東洋の真珠(ジョージタウン・第10日目〜第12日目)


朝8時45分、クアラ・ルンプールを出発したバタワース行きの急行SINARAN UTARA号が目的地に到着したのは、夜の7時も大きく回った頃だった。
予定では夕方の4時過ぎに到着するはずだったから、都合3時間は遅れたことになる。途中の駅でずいぶん長いこと停車していたから事故か何かがあったのだと思われたが、(記憶が間違っていなければ)特に車掌や運転手から遅れている理由の説明はなかった。説明を求めるような律儀な乗客も居ないらしく、バタワースに到着するなり乗客たちはさっさと列車を降りていった。遅延が当たり前のマレー鉄道の面目躍如といったところだろう。

ペナン州の州都ジョージタウンは、本土側ではなく、本土から離れたペナン島側に位置する。本土と島嶼部を領有していて、島側に中心地があるという意味では、デンマークのコペンハーゲンや、赤道ギニアのマリボあたりに似ている。
バタワース駅のすぐそばにフェリー乗り場があり、フェリーで約15分ほどでジョージタウンにたどり着くことができる。フェリーから見る夜のペナン島は、いくつもの高層ビルが立ち並んで、明るく輝いている。ペナン島に降り立ってみれば、そこは再び大都市だった。
ペナン島はマラッカ同様、イギリスの植民地支配の拠点になった島である。辛亥革命のころの孫文が拠点をここに設けていたこともある。街の雰囲気はまた、マラッカとは一味違った趣を見せている。マラッカは穏やかな、のんびりとしたところのある街だったが、この街はもっとゴミゴミとして、活力がある。コロニアル様式の家々の連なりのなかに、中国の寺院やモスクがあり、リトル・インディアの雑然としたマーケットがある。遠くには、街のどこからでもよく見渡せる超高層ビル、コムタ・タワーが見える。ゲストハウスから少し歩いて行いたところに、屋台が軒を連ねていた。屋台の軒先では、テーブルを囲んで雑多な人々が話に花を咲かせていた。

島の中心部に位置する、ペナン・ヒルに向かってみることにした。ペナン・ヒルの麓までは、コムタ・タワー発のRapid Penang社の204号線のバスに乗って、45分ほどで着く。そこからは、麓から山頂までを一気に駆け上がるケーブルカーが運行されている。
ペナン・ヒルからは街が一望できる。出発地のコムタ・タワーが見え、その先にはマラッカ海峡の海が霞んでいる。
標高のためか涼しいペナン・ヒルには、サルが何匹も棲んでいた。サルたちは、人間たちから如何に食料をせしめるかに頭を悩ませている様子で、観光客たちに着かず離れず付いて回ったり、ゴミ箱からジュースを取り出して飲んでみたり、人間を威嚇してみたりしていた。

夜、モスクの付近を歩いてみることにした。モスクの付近に設置されたスピーカーからは、祈りの言葉が流れ、通りの隅々に流れ込んでいった。その祈りの声に合わせるかのように、犬たちもまた遠吠えをしていて、まるで一緒に祈りを捧げているかのようでさえある。
人と犬の織りなす祈りの声と共に歩く人気のない夜の通りは、どこか別の世界に迷い込んでしまったかのようにも思えた。

別の通りに出ると、路上で男たちが雑多なものを地面に並べながら、何かひそひそと話し込んでいるところに出くわした。
バイクか自転車の部品らしいものや、ヘルメット、何かの金属部品などがごちゃごちゃと並べられているが、商品名も値札も店の名前も、何も掲げられていない。
直感的に盗品市ではないかと思えた。こんな夜遅くに、こんな人通りのない場所で、訳の分からない部品を地面に並べて、まともな客が来るわけがない。
何か、堂々と商売ができない理由があるのだ…。そう思ってチラチラと様子を盗み見ていたが、男たちのこちらを伺うような目線を感じて、私は早々にその場を引き上げることにした。

ペナン滞在の最終日には、孫文の住んだ家を訪ねた(そこは、あの盗品市のあった場所のすぐ近くだった)。10年ほど前には、中国の胡錦濤国家主席や、マレーシアのマハティール首相もここを訪問したことがあるという。
孫文といえば、自分の中では安彦良和の『王道の狗』に出てきた、理想にあふれる革命家『孫大砲』時代の彼であるが、実際の孫文は、革命半ばにして亡くなっている。
中国は四分五裂、蒋介石の国民党に毛沢東の共産党、山西派、広西派、雲南派、馬家軍にスヴェン・ヘディンが捕まった盛世才の新疆に日本軍の侵略と、三国志も真っ青の群雄割拠時代に入り込んでしまった(後に、共産党が全てを手にしたわけだが…)。
『王道の狗』(フィクションである。念のため)の中で、主人公の貫真人と革命のために戦う孫文のことをふと思いながら、案内人に勧められた美味しい中国茶を飲んだ。
もし孫文が生きていたら、今の中国と台湾をどう思うだろうか? 毛沢東と蒋介石のことをどう思っていたのだろうか? 共産主義をどう考えていたのだろうか? 胡錦濤やマハティールはここに来て何を思ったのだろうか? そんなことを考えたが、そうした歴史と政治の世界は、異国の一市民にはあまりに遠すぎて、彼の家はほとんど何も語りかけてはくれないのだった。

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