2012年11月24日土曜日

北方の薔薇(チェンマイ・第22~25日目)


カンボジアから戻ってきた後、ミャンマービザを取り忘れたせいで、すぐにミャンマーに出発できないことに気づいた私は、この土日をどうするかについて考えた。
土日はバンコクのミャンマー大使館が休みだから、何もすることができない。このままバンコクで土日を黙って待つというのもひとつの方法だったけれど、カンボジアから戻ってすでに丸二日休んでいたうえ、更に二日間何もせずに過ごすのは幾らなんでも怠惰に過ぎると思えてきて、いっそチェンマイを見て廻ろうかと思い至った。

チェンマイは、タイに入る前までは全く知らない土地だった。それを行こうと思い立ったのは、Across the Universeを連載中の市川君がオススメしてくれたことと、シェムリアップツアーで知り合ったシンジさんが、「チェンマイは流し灯篭のお祭りがとても綺麗らしい」というようなことを教えてくれたからだった。
そんなわけで、全く何の繋がりもない二人に同時にオススメされたということもあって、俄然興味が湧いてきてしまったのだった。
なおチェンマイでは、コムローイ祭りや、ロイカートン祭り、イーペン祭りなど、11月にイベントが満載だったのだが(ちょうど、これを書いている頃にお祭りが始まっているはずだ)、その期間に合わせて行くのは難しく、従って祭り前にチェンマイに出向くことになった。

チェンマイは、主に城壁(の跡)で囲まれた旧市街と、城壁の外にある新市街で成り立っている。旧市街の内部には無数の仏教寺院があり、僧侶が暮らしている。
ゲストハウスは旧市街の中にあり、すぐそばに数軒の寺院があったが、夕方になると僧侶たちの祈りの読経が、近所の寺院から染み入るように流れてくるのが、夕暮れ時の街に妙にしっくりきていて、どこか穏やかな気持ちになった。言葉はまったく分からないけれども、それはペナンで聞いたモスクの祈りの読経と、それは何処か似ていた。
僧侶たちは、こうやって、寺院の横にシボレーの代理店が出来る前から、今と変わらない祈りを捧げつづけてきたのだろう。そんなふうに思えた。

二日目は、チェンマイの町並みをのんびり見て歩くことに費やし、寺院の中で、地元民に混じって祈りを捧げた。別に自分は熱心な仏教徒でも何でもないけれども、マレーシアでもバンコクでもアンコール・ワットでも、とりあえず神仏に旅の安全をずっと祈るようにしていたからだ(出発前に函館の寺院でおみくじを引いたら人生初の大凶だったのを、なんとなく引き摺っていた)。

三日目は、市川くんに聞いた、タイの温泉に行く事にした。チェンマイの北80kmにチェンダオという小さな町があり、そこで日本人がレストランと温泉を経営しているという話であった。
ゲストハウスでバイクを借り受け、まずはチェンダオの前に小手調べとばかりに、チェンマイの北西の山1080mにあるワット・ドイ・ステープを訪ねた。久方ぶりのバイクに心は躍り、バイクはするすると山道を上り詰めて、ワット・ドイ・ステープに辿り着き、そこからチェンマイの町並みを心ゆくまで堪能することができた。
その後、チェンダオまで一気にバイクで駆けた。チェンダオまでの80kmはのどかなもので、道幅の広い道路はさながら高速道路と見紛うばかりだった。
1時間半も走ってチェンダオの日本食レストラン『TAKE』にたどり着くと、そこにはオーナーのUさんと、その友人のYさんが酒盛りに興じているところだった。二人共もう50代と思われる壮年の男性で、日本では地位の高い役職に就いていたのでは思わせる貫禄があった(実際にYさんは、日本では茨城の大学の助教授であったという)。
(なお、Yさんとの雑談の内容は、ミスターYかく語りきのエントリにて記した通りである)

Uさんの経営する温泉「ほたるの湯」は、『TAKE』から3kmほど離れた森の中にあり、日本人が発見した源泉を引いて作った温泉なのだという。立派なつくりの露天風呂2つと、地元民も使うという無料の土管風呂が川べりに置かれていた。
露天風呂のほうはもう既に予約がいっぱいとのことで、土管風呂に入ることにした。気さくそうな地元のタイ人たちとともに、土管を輪切りにして塩ビパイプで湯を引いただけの湯船に浸かった。森の中で、一ヶ月ぶりに入る温泉は、心までも温まるかのような心地よさで、旅の疲れを癒してくれた。

風呂の後は、『TAKE』でトンカツ定食を作ってもらい、それを食べながら、UさんYさん、メーホーソンからやってきた二人の友人で、高倉健にそっくりなSさん、彼らの友人のタイ人Tさん、同じくチェンダオに長期滞在しにきたIさん夫妻らと、楽しい宴会が催された。そこは間違いなくタイの北の果てだったけれど、どこかそんなことを忘れて、まるで日本にいるのではないかと錯覚してしまいそうになるのだった。

すっかり辺りが暗くなったころ、「カラオケに行こう」「チェンマイなんか行っても城壁しかない」「(Tさんの)家に泊まればいい」というUさんYさんの誘いを固辞して、バイクでチェンマイに戻ることにした。カンボジアでのカラオケ事件のせいで、すっかりカラオケ恐怖症になったのもあったけれど、さすがに会って初日のTさんの家に泊まるのはいささか気が引けたのだった。
チェンマイに戻る真っ暗闇の道をひた走っていると、突然タイ軍の検問にひっかかった。暗がりからぬっと現れた軍人の男性から、何事かタイ語であれこれと問いかけられたが、当然分からないので「自分は日本人である。タイ語は分からない」と英語で説明すると、ただの旅行者と気づいたらしく、すんなりと通してくれた。
後で調べたところでは、今年の7月にこの国境付近で麻薬の密売組織との銃撃戦があったばかりなのだという。一人でバイクに乗ってミャンマー側から走ってきたので、麻薬の運び屋なのではないかと怪しまれて誰何されたのだろう。

四日目、何の脈絡もなかったけれど、突然銃が撃ちたくなって、チェンマイの北にある射撃場にライフルを撃ちにいった。実銃を撃つのは、韓国の釜山で拳銃を撃って以来、4年ぶりのことだった(釜山で自分が銃を撃った数ヶ月後、例の爆発事故が起きて驚いたが、自分の行ったシューティングレンジとは別の店だった。ただし、事故のあった店はガイドブックに乗っており、行こうかと思ったが遠いので別の店にしたのだった)。
銃というのは面白いもので、一発を撃つごとに、私は何処か敬虔な気持ちになる。きっとそれは、銃という道具は、基本的には何かを破壊し、あるいは殺傷する兵器であるからだろう。
ライフルといっても撃ったのは22口径で、豆鉄砲に毛の生えた程度のものだったけれど、それでも当たりどころが悪ければ、人を殺すくらいの破壊力は十分にある。
自分は単にレンジでターゲットペーパーを狙うだけだが、もし人間を狙ったなら、狙った人間の運命をどうしようもなく決定し、不可逆的に完全に破壊することができるだろう。
おかしな話だけれど、銃を無事に撃ち切った後には、奇妙な平穏が心を満たす。うまく説明はできないけれども、それは自分が危険な兵器を誰も傷つけることなく無事に制御しきったという満足感とも、危険な兵器を制御する責任を果たしたという安心感ともいえるかもしれない。
自分は知らないけれど、ナイフを収集する趣味の人にも、そういうところがあるのではないだろうか。そういう人たちは、『危険なものが好き』というよりは、『危険なものを制御している安心感が好き』なのではないだろうか。危険な魅力であることに変わりはないけれども。

夕方、非常に親切なオジさんの運転するソンテウ(乗合バスのような車。見た目はフィリピンのジプニーに近い)を雇ってチェンマイ空港に行き、バンコク行きの飛行機に乗り込んだ。
いよいよ翌日、未知の国ミャンマー大使館との対決が待ち構えている。そう思うと、なんだかワクワクするものを感じた。

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