またまた、次の日も朝4時ごろに起きた。
ツアーの予定で、朝の5時からアンコール・ワットで朝日を眺める予定になっていたからである。
ようやく目が覚めてきて、5時にロビーに降りていくと、ロビーにはもうすでに他の日本人の仲間達がスタンバイしていた。
彼らと一緒にホテルの外に出ると、外ではトゥクトゥク(カンボジアでもタイと同じ名前でほぼ同じ乗り物。バイクに客席を取り付けた三輪タクシー。フィリピンでいうトライシクル)が待ち構えていた。これ2台に二人ずつ分乗して行くということらしい。
ところが、運転手の一人が、裸のバイクを指さしてこれにニケツをせよと言い出した。
「もう一人のトゥクトゥクのオカマ、眠い言ってる。来れない。スリーピー。」
…はぁ、そうですか。
というわけで、他の三人とは別れて、バイクの後部座席にニケツをして朝方のアンコール・ワットまで出向くことになった。
(出発前、バイクの運転手が人に言いつけて倉庫からヘルメットを取り出させていたので、てっきり自分の分もあるのかと思っていたら、ライダーがそれを被ってさっさと出発してしまった)
払暁のシェムリアップを、バイクはグングンと速度を上げて走る。街はまだ眠りから目覚め切っておらず、ぽつぽつと数人の人が道端をウロウロしている以外に、ほとんど人気はなかった。
アンコール・ワットに向かう道路は、町中の道路の様子とは裏腹に、いやに道幅が広く、小奇麗に整備され、森を貫くように真っ直ぐ進んでいた。
バイクでひた走っていると、風で少し肌寒いくらいに感じる。薄暗い森の中を走っていくその様子は、それだけでなんとも言えないくらいに幻想的で、まるで子供の頃にテレビで見た「みんなのうた」の「まっくら森の歌」の世界を思わせるようだった。
バイクがアンコール・ワットに着くと、ドライバーは何処かに行ってしまった。ガイドもなく、一人で奥に向かうと、意外なことに早朝のアンコール・ワットは、あちこちに人だかりができていた。
そこかしこで自分と同じく朝日を狙ってやってきた観光客だらけで、ひっきりなしに日本語が聞こえてくる。
やがて、朝日がアンコール・ワットを美しく照らした。それは実に美しかったが、あまりにも観光客が多すぎて、どこか拍子抜けさせられるところもあった。
(もっと奥に行ってみるかな。いや、止めとこう。どうせ今日また来るんだから…)
遺跡入口に戻ったが、他の仲間達の姿はどこにもなく、待っていたバイクでホテルに戻った。途中、バイクが道端で急に停止したので、何事かと思って様子を見ていると、運転手は道端にあった、大きな石油ポンプのような機材が乗っかったドラム缶のそばに立っていた女性に声をかけ、金を払った。すると女性は、石油ポンプに取り付けられていたチューブをおもむろにバイクのタンクに挿しこみ、もう片方のチューブの端を外して、チューブを頭上高く持ち上げたのだ。
これはガソリンスタンドだ!
なんということだろう。ガソリンを、道端で普通の女の人が何事もないような顔をして売っているのだ。そういえば、普通のガソリンスタンドはほとんど見かけない代わりに、このドラム缶式ガソリンスタンドが道のあちこちにある…。取扱免許とか、そういうのはどうなっているのだろう。
カンボジアのことがますます分からなくなりながら、ホテルに戻った。
ホテルに戻って朝食を済ませたあと、朝の8時に再び遺跡訪問に出発した。ここで、日本語を話すガイドの人が現れた。
自称『アニキ』。テンションの妙に高い、お調子者タイプのキャラである。彼の正しいのか正しくないのか今ひとつよく分からない解説を聞きながら、一行は午前中にはアンコールトム、タ・プローム、午後からはアンコールワットを訪問した。
こうした遺跡は有名すぎて、いちいち自分が何か感想を述べるのも憚られるほどだが、一言で言ってその荘厳さと、スケールの大きさには圧倒されるものがあった。これほどのものを、1000年近い昔の人々が手作業で作り上げていったとは、とても想像がつかない。今同じようなものを作ったとしても、とてつもない大工事になるだろう。
残念なことに、こうした遺跡は、カンボジア内戦の影響で、悉くクメール・ルージュによって大きく破壊されてしまっていた。もしこれが破壊されていなかったとしたら、もっと素晴らしい遺跡になっていたことだろう。
遺跡群のあちこちで、各国が協力している修復プロジェクトが進行中、というような看板を目にした。もちろん、これが単なる各国の善意と篤志だけで行われているとは思わないけれども、それで遺跡が少しでも蘇るなら、それに越したことはないとも思えた。
アンコールワットの遺跡の中では、かつてここを訪れた訪問者たちの刻んだ文字をあちこちで目にした。
1902、XXXX。昭和十六年、大日本帝國・XXXX。大南國X南省(戦前のベトナム)・XXX。1959年・XX。2007年・XXX…。
中には、1632年にアンコールワットを訪ねた長崎の武士・森本右近太夫の落書きまでも、石柱に残されている。
色々な国からの、様々な人々の訪問記念の落書きである。言ってしまえば文化財の破壊でしかないわけだが、外国に訪問するのも難しかったであろう大昔の人々の落書きを見ると、彼らはどのような思いを胸にここにやってきたのだろう、彼らはそれからどのような人生を送ったのだろう、と思いを馳せずには居られなかった。
最後にプノンバケンという遺跡で、アサミさんマサキくんと共に夕日を鑑賞した後、ホテルに戻った。
強すぎる直射日光と長時間の野外活動のせいで、とにかくヘトヘトに疲れていたが、まだまだ明日の予定は残されていた。
ちなみに遺跡の鑑賞中、アニキが私に向かってこんな事を囁いてきた。
「どうですか、夜にカラオケでもいきませんか?」
一瞬迷ったが、現地の人との交流は大事にしなければなどと思いたち、OKすることにした。しかし、これが次の日、失敗であることが判明する。
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