三日目の日程は、ベンメリアと呼ばれる遺跡と、シェムリアップ南部に位置する巨大な湖、トンレサップ湖の訪問である。
ここで、二日目に出会ったシンジさん、マサキくんはそれぞれの目的地に向かって出立した。それと入れ違いに、アツミさんが旅の仲間に加わった。
アツミさんは道民である。普段は道北の利尻島で働いているらしいが、なんと1月~3月の冬の期間は函館(!)で仕事をする予定になっているとかで、旅を終えた時に確実に再会できる人がいるという楽しみが増えることになった(ヤッターバンザーイ)。
アツミさん、アサミさんにアニキと私という四人編成でトゥクトゥクに乗り込み、ベンメリアに向かった。ベンメリアはアンコール・ワットよりも更に北、シェムリアップの北80kmに位置する。
事前にマサキくんから、ベンメリアまでは非常に道が悪く、走ると砂埃が舞い上がるうえ道は凸凹していて、油断するとトゥクトゥクに頭をぶつけるという話が出ていたが、雨が降ったせいか道路はしっとりと濡れていて、砂埃に悩まされることはなかった。
一時間してベンメリアに着いた。ベンメリアは、雰囲気が「天空の城ラピュタ」に似ているところから、カンボジアのラピュタなどと呼ばれることもあるらしいが、巨大なガジュマルが遺跡のあちこちに根を下ろし、遺跡のあちこちが崩れているところを見ると、なるほど雰囲気はよく似ていた。
ここもまた、遺跡は内戦の影響であちこち破壊されてしまっていた。ここはほとんどまだ修復は始められていないらしく、あちこちに崩れた石が積み重なり、それを苔がすっかり覆いつくして、壊されてからもかなり長い時間が経ってしまったことを思わせた。
アンコール・ワットよりも規模は小さいはずだが、それでも積み重なった様々な装飾の施された瓦礫の山を見れば、これを元通りに修復するには、気の遠くなるような時間と、莫大な金が必要なのは一目瞭然だった。たとえどこの国が援助しようとも、そう簡単に修復が始められるものでは無さそうに思えた。
しかも聞いた話では、遺跡の巨大なガジュマルを切るかどうかでも問題になっているという。つまり、ガジュマルはもう遺跡の一部になったのか、それともただ遺跡を破壊しているだけなのか、という問題が以前から修復プロジェクトで議論されているらしい。
まったくもって、壊すほうは気軽に壊せるが、創るほうは想像を絶する難しさがある。最近はピラミッドを壊すとかスフィンクスを壊すとか言っている過激派イスラム教徒もエジプトにいるらしいが、彼らはそういった事を想像しないのであろうか?
ベンメリアからシェムリアップに戻ると、土産物屋と市内のオールドマーケットに案内された後、トンレサップ湖に向かった。トンレサップ湖はシェムリアップの南にあり、その大きさはシェムリアップの街をはるかに凌ぐ。
トンレサップ湖からは更に川が南に向かって流れていて、この川を辿って行くとプノンペン近郊を通ってベトナムまで届き、最後に太平洋に流れ出ていく(ちなみに、季節によって、トンレサップ湖に流入する川の流れる向きも色々と変わるらしい)。
トンレサップ湖に着くと、巨大な湖が我々を出迎えた。
湖の中には森が茂っているがこれは陸地ではなく、木々が直接湖の中に生えて陸地のように見えている。
アニキに促されて、三人でボートに乗り込むと、ボートは両側を森に挟まれて一見川のようになっている航路を突き進む。川のふちには、水上生活を送る人々の家々(これも全てボートの上にある)が並んでいる。
川を下り終えて、開けた場所に出た。そこは文字通り海だった。文字通り地平線の果てまで湖が続く、雄大そのものの景色である。
ここで夕陽の展望台兼土産物屋(これもボートの上)に降ろされ、夕陽がやって来るのを待った。陽が落ちるのを待つ間、展望台を散策すると、展望台の地下(水面?)室に十匹前後のワニが飼われているのを見た。見物客用の見世物なのだろうか。
もっと驚いたのは蟻だった。
蟻が、展望台のレストランの一角に捨てられていたゆでエビの残骸に集まって、エビをせっせとどこかに運んでいるのだ。湖のど真ん中で!
どこに巣を作っているのだろう。展望台から湖の底に降りて、地中にある巣に向かう秘密のルートがあるのだろうか。それとも、ボートのどこかに穴をあけて、そこに巣をつくっているのか。あるいは、木の上や幹の中に棲む変わった種類の蟻なのだろうか。
探してはみたが、彼らの行き先はさっぱりわからなかった。
トンレサップ湖の夕焼けは美しかったが、やや曇っていて太陽は見えなかった。周囲が薄暗くなって、呼びに来たアニキに従ってボートで来た道を戻った。
水上生活を送る人々は、元を辿るとベトナム人であるらしい。彼らは、季節に従って住む場所を移しながら半定住生活をしているという。
彼らの水上ハウスには普通にテレビがあって、子供たちがテレビを見ている。ハンモックでゴロゴロしている人もいるし、たくさんの商品が陳列された商店もある。
たぶんパソコンを持っている人もいるだろうし、ひょっとしたら船に揺られながら水上生活のブログなんかを更新している人もいるかもしれない。
いずれにしても、世の中には色々な暮らしをしている人たちがいる。その人たちはまったく違う暮らしをしているようでいて、一方では日本の暮らしと大して違わないところもあるらしい。
そんな人々が世界のあちこちにいるというだけで、どこか勇気付けられるような、心強いような気持ちを感じながら、またトゥクトゥクに乗ってトンレサップ湖を後にした。
トゥクトゥクがホテルに着くころ、またアニキが囁くように話しかけてきた。
「ここね、ここのインターネットカフェに9時半。私は韓国語の勉強してから行きます。OK?」
例のカラオケの誘いである。
アニキは「ホテルの人には言ってないね? ホテルの人に言うと面倒だからね」と言う。変だと思ったうえ、正直なところ疲れていて面倒くさい気持ちがあったのだが、一度約束してしまったので行く事にした。
しかし、どこか変だと思うところもあったので、一応「アニキ、僕は女の人は要らないですよ。普通のカラオケだけ、それでもよければいきますけど」というと、アニキは「OKOK」と行って去っていった。
9時半にインターネットカフェに行くと、アニキは時間通りバイクで待ち構えており、それから私を後ろにのせて出発した。
バイクで10分、人気のない薄暗い道をひた走ってカラオケ屋に通されると、そこにはピンクの照明の玄関ロビーに女性が30人ばかりも待ち構えているカラオケ屋だった。
(やっぱりこうなるのね…)
女性たちの視線を感じながら、アニキの案内で奥に通される。
「女の子呼ぶとキスとタッチだけOK。エッチは別料金」と説明するアニキに、「女は要らないって言ったろ」と抗議する気持ちもなくなり、さっさと歌って帰ることを決心する。
「女の子ホントに要らない? ホントに?」と聞くアニキと店のママさんのような人に断固「要らない」と断って日本曲の本をめくってみると、どれもこれも40代以上が歌うような演歌とムード歌謡だらけで、歌える曲がほとんど見つからない。
ここに来る日本人の客層を想像してげんなりしながらも、なんとか歌える曲を数曲見つけてなんとか1時間半を切り抜けた。その頃にはさすがのアニキも私が乗り気でないことに気づいたらしく、当初は2,3軒掛け持ちするつもりでいたようだったが、1軒目で打ち止めということになった。
ちなみに、アニキはその1時間半の間にカンボジアの演歌を楽しそうに歌い、7~8回もカンパイ!と言って場を盛り上げようとしていたが、当然そんな売春カラオケ店にやってきて男二人で盛り上がるはずもなく、終始粛々と歌うだけで終わった。
カラオケ1時間半とビール2本、ピーナッツ1袋で35ドルというボッタクリ価格、費用はこちらの全持ち、さらにアニキの飲酒運転バイクにニケツでホテルに戻るはめになるという、何のために行ったのかさっぱり分からない脱力ぎみの宴になった。
(ちなみに、アニキはこうやって客を売春カラオケ屋に連れていけば、店から手数料をいくらかもらえるのであろう。ホテルに言うなとしつこく念押ししていたのも、そういう理由だったのだと思う。)
こうして、カンボジアの夜は幕を閉じた。
こうして私はカンボジアからバンコクに戻った。
長時間の野外活動と、最終夜の脱力売春カラオケ事件で疲れ果ててしまい、バンコクでは2日ばかり休んで、それからヤンゴンに向かうつもりでおり、ブログで情報収集やカオサンロードで土産物探しなどに費やした。
しかし、「金曜日の午後」になって大変なことを忘れていたことに気づく。
ミャンマーはビザが必要な国であり、ミャンマービザの申請手続きは「月曜から金曜の午前中」までだということを。
つまりそれは、ミャンマーにはまだ行けないということを示していた。
0 件のコメント:
コメントを投稿