2012年12月24日月曜日

出発地点(中国陝西省・西安市、第39〜42日目)

昆明を出て、私は西安に向かった。
「うーむ、なんだか、風景が段々と親しみやすくなってきたな」
西安の空港に降り立って、バスで西安の街に向かう途中の風景は、どこか北海道に近い雰囲気を漂わせていた。雪こそ降っていないが、気温は零下にまで下がっている。そのせいか、植生が北海道に似ているのだ。
バスに乗っている間に段々と陽が落ち、街の摩天楼が姿を現す頃には、濃いガスが街をすっかり覆っていて、どこか怪しい雰囲気を街に与えていた。バスは、街のランドマークである大鐘楼の付近で私を降ろした。

中国の中央部に位置する西安は、かつては長安と呼ばれ、旧市街を巨大な外壁で囲まれた街である。旧市街の中央部には、30年前のNHK特集の番組・シルクロードの冒頭で、陳舜臣さんが「今、私は西安に来ています」と言って番組を始めた場所、大鐘楼がある。
その他、天竺から帰って来た玄奘三蔵法師が巻物を納めたという大雁塔、シルクロードを伝ってアラブの商人がここまで来ていたことを表すという、見た目はどう見ても仏教寺院なのに、中に入ってよく見ると実は「モスク」という、世にも奇妙な大清真寺がある。

郊外に眼を移すと、秦の始皇帝陵と、それに附随してほんの40年ばかり前に発見されたばかりの、日本でもおなじみの兵馬俑遺跡がある。西安は、その他にも実に色々なシルクロードを巡る文化遺産が眠っている街なのだが、それだけではなく、現在の西安は中国の中でも十本の指に入るであろう大都市である。
街は綺麗に整備され、街の中心部のほんの半径100か200mほどの狭い範囲内の中に、アップルストアが3件も4件もあったりする。

予約してあったユースホステル「Hang Tan Inn Guest House」は、いわゆる欧米人の集まる「白人宿」で、極めて分かりにくい住宅地の真ん中にあった。同じ場所をぐるぐる廻って、探すのに40分近くかかったほどだ。しかし、事前のネットの評判の通り、中は欧米人好みの、洗練された雰囲気の居心地の良い宿であった。ルームメイトは、イスラエルから来たという女性ネタさんに、鼾のうるさいオーストラリア人の兄ちゃん、クールな雰囲気の小柄なスウェーデン人の青年、温厚そうなスペイン人の男性などであった。
ネタさんとは、エアコンが漢字で分からないというのであれこれ操作してあげたり、パンを貰ったり、中国でネット規制を回避する方法について話すなど、割と仲良くなった。

やってきて二日目に、ユースホステルのゲストハウスのツアーに参加し、欧米人たちと徒党を組んで兵馬俑と秦の始皇帝陵の遺跡に向かった。
秦の始皇帝陵は、その名の通り秦の始皇帝を埋葬するために作られた古墳である。しかし、外目からは単なる小高い丘が公園として整備されているだけで、面白くもなんともないのが特徴である。実際、始皇帝陵の見学時間は5分足らずで終わった。
しかし、実はこの小高い丘の下には、始皇帝の死後の邸宅として作られた巨大な宮殿が眠っている。実際、調査で宮殿の形までは分かっているそうだ。しかも、歴史書によればこの宮殿には水銀の河や海なども作られたという。これは長い間誇張だと思われていたらしいが、実際に地面から高濃度の水銀の反応があったため、本当にそれを作ったのだという可能性が高くなっているという。おまけに、宮殿内部には、盗掘者を射殺すための仕掛け弓などの装置も用意されているらしい。なんと壮大で、ロマンに溢れる話しなんだろうか!
本当にあるのかどうか、早く掘り起こして見せて欲しいものだが、掘り返すときに失敗すると取り返しがつかないとの理由から、まだ発掘はされていないのだそうだ。

その後、兵馬俑に向かった。
兵馬俑は、始皇帝陵と一緒に作られた付属の遺跡のようなもので、陶器で作られた精巧な兵士たちの人形が大量に収められているところから、英語では「テラコッタ・アーミー」という。

これは有名すぎるから、特に説明する必要はないが、出土された大量の兵士たちや馬たちが遠くまで続いているのは圧巻である。
作られてからというもの、敵軍によって押し入られて破壊されたり、後の時代になって盗掘されたり、終いには地元民の誰かが墓に使った場所もあったりそうで、現在になって「発見」される前から、実は「知っている人は知っている」場所だったのかもしれない。

付属の博物館の売店コーナーには、兵馬俑の発見者の一人である、楊老人が座って昼飯を食べていた。兵馬俑の発見者は一人と思われがちだが、実は数人の「楊さん一族」が一緒に発見した遺跡である。
NHKのインタビューを受けていた「楊さん」は、残念ながらその場におらず、昼飯を食べているのは別の「楊さん」だった。
挨拶をしてみたが彼からは何の反応もなく、サインも本の購入者に限るとの事だったので、コミュニケーションを取るのは諦めた。彼らは今や中国人の間ではスターのような存在で、発見以来何十年も博物館にこうしているわけだから、いちいち愛想をよくしていてはきりがないのであろう。
その夜は、ホステルの中で中国の伝統酒の利き酒大会に参加し、楽しく過ごせた。ユースホステルは人に気を使わなければならないことも多くて面倒だが、孤独な一人旅の中では、こうした大勢で何かを楽しむ機会がちょっとした癒しと活力になる。

三日目は西安の町中をさまよって過ごした。西安の町では、零下だというのに、店のドアを開け放ったり、食品工場の入り口にかけてあるビニールの垂れ幕のようなものでドアを代用している店が多く、店の中がとにかく寒いのが特徴である。アップルストアさえ、ドアを開け放って営業している。北海道でこのようなことをしたら顰蹙ものだろうが、誰一人として寒いのに構っている様子はない。後で敦煌で人に聞いたところによると、西安人にとってはあの気温はそれほど寒いものではないらしく、店員が面倒臭がってドアを閉めていないだけであることが分かった。一方私は、帽子と手袋を購入した。

四日目、またトラブル。またしても、朝早い飛行機に乗り遅れてしまったのだ。これで、たぶん人生で6度目くらいの飛行機乗り遅れだろう。この日、私は西安を離れて、敦煌に向かうつもりでおり、朝早くホステルを離れて離陸の2時間半前に空港に向かったのだが、途中の渋滞などで時間を食ってしまい、結局チェックインには間に合わなかったのだ。
西安の空港の中にはカプセルホテルのような、珍しい施設がある。「蜂の巣」と名付けられたその施設は、空港の通路の脇に、狭い箱の中に大人一人がようやく入れる大きさのベッドを置いただけのもので、1時間で50元(675円)もするバカ高い代物だったが、インターネットが使えるとあって1時間だけその中に潜り込み、今後のことについて考えることにした。
今日の敦煌行きの飛行機はもうないが、明日なら敦煌行きの別の飛行機がある。しかし、それまでの間どうするか。いっそこの狭っ苦しい場所に次の日の朝まで居ようか。いや、そんなことをしたら、こんな迫っ苦しい空間とネットひとつのために何百元吹き飛ぶかわかったものじゃない。そもそも一泊二泊と滞在するためのものではないし、飯も風呂もないのだ。

…結論。Hang Tan Innに帰ろう。帰ってまた明日出直そう。チケットは出発後でも一部返金してくれるというし、空港に居たって何のいいこともない。
私はそう決めて、気晴しに空港内のちょっと高いビュッフェで昼飯を食べて西安市内に帰った。「今日は空港を見物に行ったんだ」と無理やり自分を納得させながら。「あれ、戻ってきたの?」と、Hang Tan Innのスタッフやネタさんには笑われてしまった。
とはいえ、くよくよ考えても仕方がないのが一人旅である。臨機応変に行けば、銃を突き付けられて身ぐるみ剥がされ、どこかの見知らぬ山中に裸でうっちゃられたというのでもない限り、大抵のトラブルは自分でカバーできるだろう。

次の日、私は更に早い時間に起きてバスに飛び乗り、空港に向かった。今度は、大丈夫だった。

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