2012年12月2日日曜日

アジアン・フロンティア(ミャンマー・ヤンゴン、第28~29日目)


<一日目>

バンコクでミャンマービザを取る事に成功した私は、翌日にドンムアン空港からヤンゴン行きの飛行機に乗り込んだ。チェンマイに行く時にもドンムアンを使ったから、この短いタイ滞在中に二回もドンムアンとバンコクを往復したことになる。

(思ったより近代的な空港だな)
ミャンマーの空港に降り立った時に、最初に思ったことはそれだった。バンコクからミャンマーに行ったというある人のブログを見ると、ヤンゴンの空港は酷いところでバンコクに帰ったら文明のありがたみがわかった、というような記事が載っているので、どんな酷い場所なのかと思っていたのだ。
空港でタクシーに乗り込むと、タクシーはドル払いだった。やれやれ、またか、という思いが頭をかすめる。それというのも、カンボジアではドルが自国通貨よりも優遇されていて、カンボジア・リエルは紙くずに近い扱いを受けていたので、それと同じようなことがここでも行われているのではと考えたのだった。

しかし、ヤンゴンのダウンタウンに入ってみると、思いの外ヤンゴンの街に活気が溢れていることに驚いた。ヨーロッパ風の建物の立ち並ぶダウンタウンの通りのあちこちで、屋台や会社の事務所、インターネットカフェやゲストハウスが立ち並び、人々が忙しそうにあちこちを行き来している。
日本の企業や、韓国の企業の小奇麗なオフィスビルも目立つ─INAX、ソニー、サムスン、富士フィルム…多くの企業が、チャンスを求めて集まってきている。
ほんの数年前まで国際社会から経済制裁され、世界から孤立していた国とは思えない活状だ。

「おお、ここはスカートの国だ!」
この国では、男性もスカートを履いているのが目に付く。民族衣装の巻きスカートだ。男性のスカートと言えば、スコットランドのバグパイプ奏者の男たちが有名だけれど、こちらはその比ではない。街ゆく多くの男女が、普通にスカートを履いて歩いているので、男性がスカートを履いていることにまったく違和感を感じない。
また女性と子供は、顔に灰色の粉を塗りたくっているのが印象的だ。はじめは泥を塗りつけているのかと思ったけれど、あとでタナカという木の粉を塗っているのだとわかった。日焼け止めの効果があるらしいのだが、人によっても塗り方に違いがある。何でも、塗り方によって美人かどうか─つまり、モテるモテないにも関わってくるらしい。所変われば習慣も変わる─まさにこのことである。

カンボジアと違って、自国通貨のチャットが広く流通していることにも気がついた。これは、チャットが少しずつ信頼を取り戻しているということなのだろうと思った。ATMさえ当たり前のようにドルを吐き出すカンボジアの有様を見ているだけに、それだけでも、この国が良い方向に向かっているのではないかと思わせるのに十分だった。
そして、ハイ・シーズンとのことでどこのゲストハウスにも先客が詰まっていることもわかり、結局空室のあった若干高めのホテルに泊まることになった。

タクシーの運転手に聞いてみた。
「どうですか? この国は変わってきていますか?」
「今、この国は変わっているところだよ。外国の企業も沢山チャンスを求めてやってきている。いいことさ」と運転手は言った。

<二日目>

二日目、私はまず、ホテルの近くにあるアウン・サン・スーチーさんの生家を訪問してみることにした。大学のある道幅の広い通りをホテルから30分ほどもかけて歩いて行くと、やがて一軒の変わった雰囲気の家を見つけた。
灰色の鉄製の門と、スー・チーさん率いる野党NLDのマーク。塀の上には、有刺鉄線が張り巡らされている。これがスー・チーさんの家に違いない。
近くに警備員風の人々が屯していたので、ためしに写真を撮っても良いかと聞くと、「OK」という返事が呆気なく返って来た。数年前までは、近づくだけでも「帰れ」と強面の警備員に追い返されるということだったから、それだけでも相当この国が変わっているということを示しているに違いなかった。
写真を撮っていると、何かの車が門の前に乗り付けた。門がゆっくりと開いたので、せっかくだから門の中を見せてもらおうと車の後ろから覗きこむと、中にいた巻きスカートを履いた強面の男が私をキッと睨みつけ、すぐに門を閉じてしまった。
あとで気づいたことだが、この二日後に、アメリカのオバマ大統領が、ここを訪問し、スーチーさんと面会する予定になっていたのだ。中の人々が相当殺気立っていただろうことは、容易に想像がつく。

その後、ヤンゴンと言えばとりあえず観ておかないとならないシュエダゴン・パゴダを訪問した。
ミャンマーというか、東南アジアの仏像や仏教施設は、とにかく金色にギラギラ輝いているのが特徴で、木造の侘び寂びの寺の世界に親しんでいる日本人の自分にとっては、どこかサイケデリックな印象さえ感じる。どこを観てもあんまりギラギラしているので、ほどほどにして見るのを止めて帰ることにした。

パゴダから出る時、そういえばお金を降ろしたいな、思った。手持ちの現金では少し足りないような気がしていたのだが、ホテルのそばの銀行のATMにカードを入れてもカードが拒否されてしまい、どこで降ろせるのか分からなかった。
パゴダの入り口にいた観光案内の職員のおばちゃんが、「XXタワーのエキゾティックツアーという会社に行きなさい。そこなら両替もお金を降ろすのも出来るわよ」と教えてくれた。
なぜツアー会社に行くと両替したりお金を降ろしたりできるんだ??
その時はそういう疑問が膨らんできたが、他にどういうアイディアもなく、そのアドバイスに従って、言われた通りのツアー会社を訪ねた。

ツアー会社の受付嬢に、お金を降ろしたいと説明すると、彼女は自分が何を言われているのかさっぱり分からない、という怪訝な顔で私を見たあと、オフィスの奥に行って人を呼んできた。
受付嬢に代わって現れたのは、キャリアウーマン風の女性だった。彼女は私に名刺を渡したあと、こう言った。
「うちはツアー会社だから、ツアーのアシスタントはするけれど、両替もお金の引き落としもしないですよ」と言われる。そこで、(ああ、あのパゴダのおばちゃんは、俺がどこかのツアー会社のツアーで来ていると勘違いしたらしい…)と合点がいった。
そこで、「どこかにマスターカードでお金を降ろせるATMはありませんかね」と尋ねると、彼女は信じられない言葉を返してきた。
「ミャンマーの銀行はどこも国際クレジットカードのシステムに接続していないのよ。だから外国人はお金を降ろすことはできないの」

…そんな国が、あったのか。驚きのあまり、声が出なかった。
あのカンボジアのシェムリアップ、あの道路が舗装されていなくて、マリオカートのコースみたいに凸凹だらけで、売春カラオケ屋に連れて行かれるあのカンボジアですら、そこらの道端にあるATMでドルを降ろすことができたのに、それすらできない国もあるなんて。
「ということは、僕はどうやってもお金を降ろせないんですか?」
「そうなるわね…あ、ちょっと待って…」と言って、彼女はオフィスの奥に一度入ってまた戻ってきた。
「最近、つい二三日前に、マスターカードが使えるATMがダウンタウンにオープンしたというニュースが流れたのよ。そこを試してみるといいわ」と言って、彼女はATMの場所を調べて教えてくれた。
相談料に1ドル渡そうとしたが、彼女は決して受け取ろうとはしないのだった。

彼女に教えられたATMに向かうと、確かにそこに、マスターカードのマークのついたATMが鎮座していた。
しかし、ATMの前には、何もしないでただ座っているだけの男たちが、何人も屯している。近くの屋台で食事を取りながら、彼らが立ち去るのを待ったが、彼らは座ったまま一向にその場を離れようとしないので、ついに意を決して彼らにどいてもらい、ATMにカードを差し込んでみた。
パスワードを入力し、金額を選ぶ…
暫くして、指定した額のミャンマー・チャットがニュッとATMから姿を表した。
(やった!!)
これで当分はお金に困らなくてすむ。ATMからお金を降ろせることがこんなに素晴らしいだなんて…と感激しながら振り向いた時、私は背筋が寒くなった。

10人近い男たちが、私がお金を降ろしている様子を凝視していたからだ。
私が驚いていると、男たちは頼みもしないのに電卓を取り出し、ドルとチャットのレートを入力しはじめたので、慌ててその場から逃げ出すことにした。
ともかく、これで後の旅は大丈夫だ。
その時はそう思っていたが、あとでそれが間違いであることが判明する。

<北朝鮮直営レストランの憂鬱>

その日の終わり、私はヤンゴンに北朝鮮直営のレストラン「Pyongyang Koryo Restaurant」があると聞き、店の位置を調べると、夜レストランに向かった。日本の駒込で寿司職人として働いていたという日本語の堪能な親切なタクシードライバーに連れられてレストランに近づくと、一人の男が現れて、私を店の中まで案内した。
レストランの中に入ると、そこでは噂に名高い北朝鮮人従業員による歌謡ショーがすでに始まっているところだった。
レストランの内部は既に韓国人団体客に埋め尽くされ、席の空く様子は微塵もない。「一人です」と英語で言うと、年配の従業員が朝鮮語で何事かを早口でまくし立て、壁際にある椅子(席ではない。テーブルがなく、ただ椅子があるだけである)を薦めてきた。

舞台の上で歌って踊る従業員たちは、何やら80年代のキャバレーのホスト嬢のようなギラギラと輝くミニスカートのドレスに身を包み、統率の取れた動きでムード歌謡のような曲を披露している。
韓国人ツアー客は嬉しそうにそれを眺めながら北朝鮮料理に舌鼓をうち、更には一つの演目が終わると歓声を上げ、何処からともなく持ちだされた花束が、ショーの出演者たちに手渡される。
にやけた顔つきの中年男性たちが数人、演台のそばに近寄って動画を撮影し、「NO PHOTO」との張り紙を気にする人は一人も居ない。
数人の韓国人ツアー客が、ぼうっと壁際の席に座り続けている私の様子を不審そうな眼差しでチラチラと見るが、やがて数秒で興味を失って、彼らの視線は演台に戻る。

北朝鮮人のウェイトレスさんたちは、キリキリと素早い身のこなしで次々と韓国人ツアー客のテーブルに食事を運んでいくが、壁際で寄る辺なく座り続ける私に声をかけてくれる人も、声をかけられそうな雰囲気の人も一人も居ない。


非常にシュールな光景だった。
数十年前から深刻な対立を続け、つい最近でも潜水艦を爆破させたり、砲撃を加え合って人を殺している国同士で、別に問題が解決したわけでもなんでもないのに、この花束と歓声の宴は何なんだ?
爆撃を加えた国の相手に花束や大歓声を送ったり、黙々と給仕をし続けるこの様子をどう解釈すればいいんだ?
それとも、国同士の対立は建前で、同じ民族同士本当はとても仲が良いということなのか?

30分ほどもショーを黙って見続けたころ、数人の身なりの良い中東風の男女が現れた。ウェイトレスたちは、彼らは何も言わないうちから素早く彼らを二階に連れて行った。
(帰るかぁ…)
その様子を観て、私は黙ってレストランを出ることにした。いつまで経ってもこの宴が終わる気配はないし、この宴が終わってガラガラになった後で、ぽつねんと一人で飯を食べる気持ちにはとてもなれなかった。

北朝鮮レストランを出て、私は隣の中華料理店に行った。ウェイターたちは、私を快くもてなしてくれ、食事もビールも全てが美味いのだった。

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