ヤンゴンで休憩を終えた私は、ゴールデン・トライアングルの一帯を飛び越えて、一路中国は雲南省・昆明に入った。
東南アジアを旅した多くの旅人ならば、ここまで来たら次に行くのはインドが相場である。コルカタあたりに飛び、そこから陸路や空路でヴァーラーナスィーやアーグラに向かって西に進んでいくというのが、まずありがちなルートである。
しかし、今回私は中国西部を見たいという目標があった。敦煌、トルファン、ウルムチにカシュガルと、いわばシルクロードをなぞる旅路である。シルクロードの世界を訪問した後、ウルムチからパキスタンのイスラマバードとラホールを経由して、ニューデリーに抜けるというルートを取る目論見であった(しかしながらこれは、後でうまくいかないことが判明する)。
「寒い!」
今年の6月に開港したばかりの真新しい昆明の空港に降り立った最初の感想はそれである。昆明が海抜約1900mの高地にあるためなのか、長い間暑い国ばかり移動してきたせいなのか、気温17度のはずなのにやたらと寒く感じた。
「都会だ!」
「ネットが…」
中国では、金盾(キンジュン、グレートファイアウォール)という仕組みによって中国当局にとって都合の悪いウェブサイトは全てブロックされている。
Facebook、twitter、YouTube、ニコニコ動画、fc2、ebloggerなどといったインフラは全て不可であり、そのかわりに中国人は中国製の似たようなバッタ物を使用している。これを回避する方策は、ミャンマーで既に立ててあった。
「英語が通じない…」
最大の問題はこれであった。とにかく、簡単な英語ができる人にさえ、まったくお目にかからないのである。タクシードライバーはもとより、ホテルの従業員や空港の職員にも英語が通じないことが多いことがわかった。
かと言って、中国語を話そうにもうまくいかない。中国語は声調のある言語である。有名な話だが、普通話をしゃべる場合、四種類のアクセントを滑らかに使い分けて発音しないと、カタカナ中国語をそのまま読んでも中国人には通じないのだ。
ホテルに入って、慌てて最低限の旅行会話を手帳に書き込んだ。日本人の場合、漢字という文字を共有しているから、必要最低限の簡体字を知れば、ある程度のコミュニケーションを取れる可能性はあるが、漢字の読み書きができない、中国語もできない欧米人が中国を旅行するのは本当に大変だろうと思う。
そのせいなのだろうか、単に寒いせいなのだろうか、これまで東南アジアの各国の何処にでも居た欧米人の姿が、ぱったりと消えてしまった。
言葉の壁の問題の中でも、特に中国人の不思議なところは、相手が明らかに中国語が喋れないと分かっていても、ひたすら中国語で話し続けるところである。
英語が分からないなら分からないで、I can't speak Englishでも、Noでもいいから言ってさっさと会話を切り上げてくれた方がずっと簡単で楽だと思うのだが、彼らはこちらが中国語の分からない外国人だと気づいた後でも、ひたすら中国語を喋り続けるのである。
その心中は何なのであろう。
中国に来る外国人なのだから中国語くらいわかるだろう、と考えているのだろうか。
分からないのは承知の上で、とりあえず何かを伝えようと試みているのだろうか。
それとも単に、こちらが外国人なのに全く気づいていないで、同じ中国人のくせに中国語が分からんとはけしからん奴だ、とか思っているのだろうか。
よく分からないが、要するに彼らは学校で英語を習わないのだろう。田舎のお年寄りが英語を話せないというのなら分かるが、大都会に暮らすどんな若い人にも簡単な英語1つ通じないのだから、それ以外に考えられない。
ネットを見ると、中国人のTOEFLの成績は日本人・韓国人より上とか、中国人は英語がうまいという話が散見されるけれども、それは恐らく上海とか北京とかの中国一先進的な都会限定の話か、どこかの当局がデータをいじくっているのに過ぎないのではないかと思う。そうでなければ、昆明のような大都会でOKとかPleaseとかWhere is toilet? さえ通じないという状況に説明が付けられない。はっきり言って日本の小さな地方都市と大差ないと思うし、中国語で延々としゃべり続けるあたりが、少なくとも「英語は分かりません」と意思表示するか、しどろもどろになって何も言えなくなってしまって外国人側もすぐにあきらめてしまう日本人よりも面倒臭いと思う。
雲南省は、中国でもかなり少数民族の多い場所である。
イ族、ペー族、ハニ族、チワン族、ミャオ族、ワ族、チベット族等々…。雲南省にしかいない少数民族が15もあるというから驚きだ。
それを象徴するかのように、雲南省には雲南民族村という少数民族のショーウインドウのような観光施設もある。
この雲南民族村は昆明市の南10kmほどの場所に位置する観光地で、各少数民族の生活を持ち寄って再現した小さな村を集めたような場所である。近くには、登龍門の語源になった龍門という旧跡もある。そこを訪問してみることにした。
雲南民族村に入り、各民族の展示を眺めた後で、午後の3時半からショーが開かれた。各民族の生活や文化をごった煮にして歌と踊りで表現したような歌劇である。
(まてよ。そういえば、もう一つ少数民族のショーがあったはずだ。かなり評判の良いヤツだぞ)
ホテルに戻ってからネットで調べると、ヤン・リーピンという大スターの「雲南映像(Dynamic Yunnan)」という舞台であることがわかった。日本の横浜でも開催されたことがあるという。
早速夜になってから開催場所に出向いてこのショーを鑑賞したが、なるほど人気があるのも頷ける内容だった。
太陽をモチーフにした太鼓から始まるプロローグに、各民族をモチーフにした歌と踊りが続く。その全てに不思議な威力とどこか鳥肌が立ってくるような感動があった。
中でも、劇の開始前から要所要所で登場するチベット族の男性を主人公にした荘厳なチベット族の章と、ヤン・リーピンをスターにしたという人間離れした「月光」の章は、目を離せなかった。
タイで鑑賞したニューハーフ・ショー以来の素晴らしいショーであった。これを見るために昆明に来るのもありだと思わせるほどであった。
昆明滞在を終えて、次に向かったのは西安である。西安はシルクロードの起点であり、また私のシルクロード訪問の出発点であった。
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