2013年2月12日火曜日

砂漠の中の幻・1(アラブ首長国連邦・ドバイ、第62日目〜第68日目)


散々な出国審査を終えた後、ようやく私は思い出深いインドを離れ、深夜、ドバイに降り立った。
飛行機がドバイの上空に差し掛かると、暗闇の中に、明るく輝く宝石のようなドバイの町並みが見えた。
(…豪邸だらけだ!)
飛行機が徐々に高度を下げ始めると、町並みがよりはっきりと見えるようになる。道幅が広く、きちんと整備された道路を車が悠々と滑るように走っている。
眼下に広がる家々はどれも庭を備えた瀟洒な建物ばかりで、みすぼらしい雰囲気は欠片も見当たらない。空港に降り立つと、空港の建物もまた現代的で真新しく広々とし、チリひとつ積もっていない。
空港から出ると、深夜遅い時間ということもあって、私はタクシーに乗り込んだ。すると、タクシーにもまた真新しいメーターが備え付けられており、運転手は場所を聞くとメーターをONにしてすぐに走り始めたので、私は更に驚いてしまった。
日本を出て以来、こんなきちんとしたタクシーにお目に掛かったのは、シンガポール以来のことだ。アジアの他のどこの国でも、タクシーというのはボッタクリやトラブルの同義語であって、乗れば何かしら揉め事が待ち構えていると覚悟しなければならない乗り物なのだ。

次の日の午後、私は早速、ドバイにあるダハブシールのエージェントに行くため、ドバイ東部にあるゴールド・スーク・エリア(宝飾店が立ち並ぶ一角で、それ自体が一種の観光地になっている)に乗り込んだ。前後左右を埋め尽くす宝飾店の金銀のアクセサリーにめまいを感じなから、ダハブシールのエージェント一覧にあった住所を求めて迷路のようなスークを行ったり来たりする。けれど、目的のエージェントは一向に見当たらない。
(おかしいな…住所では確かにここのはずなのに…)
スマホの地図情報と見比べながら調べるが、それでも見つからず、仕方なしに周りの人に訪ねて廻ってみたが、意外にも地元の人達も知らないというばかりで、数時間もスーク周辺を彷徨う羽目になってしまった。
やがて辺りが暗くなってきたころ、それでも頑張ってエージェントを探し回っていると、とうとう知っているという人に巡りあった。
「その角を右に曲がって2つ目の店だよ。2つ目な」
「2つ目! やった、ありがとう!」
ついに得た情報! これでようやく帰れる! そう思ってイケメンのアラブ人の彼の言葉に従ってその店に行くと…
「閉まってる…」
営業時間が過ぎていたのか、休業日だったのかわからないが、とにかく店はシャッターが降りていた。
…というか、そもそも住所が違う。ムンバイのエージェントの時も、指定された場所に行ったら会社自体が存在しなかったりした。住所さえ正しかったら今日中に振り込めたかもしれないのに、ちゃんとデータ更新しとけよなぁ…と心のなかでダハブシールに悪態をついて宿に戻った。
翌日、そのエージェントで60USDを送金した後、私はこれからどうするかについて考えた。
エージェントから、ソマリランドのアンバサダーホテルに送金したはいいが、ビザがメールで送られてくるまでは、エチオピアに向けて出発できない。数日間、ドバイで待機するしかないわけだが、あいにく物価の高い先進国UAEには安宿というものが少なく、無為に泊まっていては資金を消耗することになってしまう。
更に安い宿に移らなくては。HostelWorldなどで調べてみて、私は中心部よりかなり遠いが、より安いホステルが空港の北にあるのを見つけ、そこに移ることにした。

そのユースホステルは、他の国のホステルのイメージとは少し違う場所だった。
HostelWorldで見つけられる欧米人のよくいるホステルというと、大抵は欧米人の好みそうな洒落た内装を持ったキレイなホステルをイメージするものだが、この宿の雰囲気は、どちらかと言えば運動部に所属している高校生が泊まるような、日本の合宿所に近いものだった。現に、後になってから地元の小学生のサッカーチームの団体がバスに乗って現れたので、その想像は間違っていなかったことがわかった。
「ところで、うちには砂漠訪問ツアーがあるけど、どうだい?」
「砂漠?」
「このパンフレットを見てくれ」
と、チェックインしてすぐに受け付け係のお兄さんが、私にパンフレットを寄越した。パンフレットには、ドバイの北にある砂漠にランドクルーザーで行き、そこで夕食のパーティもあると書かれている。料金も、それほど高くはなかった。
「よし! 明日行くよ!」
そんなわけで、クリスマスの午後三時頃、ランドクルーザーがホステルの玄関の真ん前に乗り付けたのである。

ランザクルーザーの運ちゃんは、パキスタンのラホールの近所の出身というおじさんだった。信じがたいことだが、ドバイにはパキスタンやインド、フィリピンなどの出稼ぎ労働者が現地人よりも遥かに多く(特にインド人)、地下鉄やバスに乗っていてもインド人が大挙して乗り込んでくれば、あっという間にインドワールドになってしまうのである。
彼とともに、ドバイの北のシャールジャ首長国のホテルでサウジアラビア人のグループをピックアップすると、ランクルは一路北に向けて走りだした。
暫く走って近代的な街の郊外に出ると、巨大なシャールジャの首長の宮殿があり、それを過ぎると後はあっという間に、砂漠の荒野になってしまう。
ドバイの巨大で現代的な町並みの中に居るとすっかり忘れてしまうが、一旦郊外に出てしまえば、やはりあの町は砂漠の中に突然ドカンと浮かぶ砂の中の城、文字通り砂上の楼閣なのだと気づく。
砂漠を更に北に、オマーン領の飛び地・ムサンダムの方角に向けて進んだのち、ランクルは突然舗装路を外れ、砂漠に入った。
すると突然、ランクルが激しく揺れ、全身に衝撃が襲った。
「うおっ!?」
ガゴン、という音と衝撃に、思わず声が出てしまう。ランクルは、砂漠の急な斜面を、思い切りスピードを付けて爆走している。


なにしろ、不安定な砂の斜面を思いっきり斜めになって走行しているのだ。身体が地面に向けて引っ張られる感覚があり、そのまま車ごと横転しそうな恐怖に襲われる。
「心配するな、この車は日本製だ。君のところの車だろう。信用しろよ」
などとパキスタン人の運ちゃんは言うが、正直言って物凄く怖い。実際には、きちんと決められた安全なルートを通っているのだろうけれど、ちょっとハンドル操作を誤ったら、簡単にひっくり返ってしまいそうだ。


こんな恐ろしいドライブは味わったことがない、というくらい恐ろしいドライブだったが、ランクルの隊列は、無事目的地のデザート・キャンプまで辿り着いた。
このキャンプは、文字通り砂漠のど真ん中にある観光用のキャンプだった。中央のお立ち台の周囲の地面に、テーブルと椅子がそのまま並べられており、ツアーに参加した人なら、コーヒーや茶、食事、お菓子なども無料で楽しめるという趣向だった(酒もあったが、酒はさすがに有料)。
お茶をもらって席に座ると、しばらくしてダンスショーが始まった。まずは男性ダンサーたちの剣舞から始まり、女性ダンサーの美しいベリーダンス、男性たちが勢い良くスカートを振り回して踊るスーフィー・ダンスと続く。こういったショーを見るのは初めてだったけれど、その美しさに思わず見とれてしまった。


やがてショーが終わると、そこで砂漠の宴はおしまいになった。
宴の参加者達は、続々と自分たちの車に乗り込んで、キャンプから立ち去っていく。ダンサーたちもいなくなり、食事や売店も全て片付けられて、つい先程まで賑やかだったキャンプの中は、急にガランとしてしまった。
「どうだった? 楽しかったかい?」
パキスタン人の運ちゃんにそう話しかけられて、「ああ、とっても」と私は返事した。
(まるで、幻みたいだ…)
もう人気がほとんどなくなり、抜け殻のような会場を見つめて、私は砂漠のど真ん中で何か幻を見ていたような、そんな不思議と寂しい気持ちになったのだった…。

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