2013年2月4日月曜日

混沌の街・2(インド連邦・ムンバイ、第57~59日目)

「シャンタラム」は、オーストラリアの作家グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツが2003年に発表した小説である。この小説では、80年代、主人公ことリン・シャンタラムが、オーストラリアで銀行強盗をした挙句、偽装パスポートであてもなくムンバイに落ち延び、そこでひょんなことから無免許の医師となって人望を集める傍ら、ムンバイ・マフィアの一員となって現地の裏社会に通じるようになり、更には当時ソ連と戦争状態にあったアフガニスタンに、ムジャヒディーンの義勇兵として赴くなどの波瀾万丈の人生が描かれている。
何とも非現実的な話のようだが、実はこの小説でリン・シャンタラムが体験するこうした数々の出来事は、殆どが作者・グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツの実体験によるものとされている。実際にグレゴリー・デイヴィッド・ロバーツはムンバイで逮捕され、オーストラリアに強制送還されて服役し、出所後にこの小説を書いているのだ。どこまでが創作でどこまでが実話なのかは定かではないが、こうしたことからこの小説は半自伝小説と考えられている。
(ちなみに、『暴走特急』という、ナショナル・ジオグラフィック誌のカメラマンが世界各地の地元民が使う危険な乗り物を乗り継いで旅をするノン・フィクションがあるのだが、その中にムンバイを旅する箇所がある。そこで、この本の作者は「シャンタラム」に登場するある人物のモデルとなった男に会い、彼にムンバイを案内されるのだが、その時この人物は、「あの本(シャンタラム)に書いてあることは全部本当だ」と言ったらしい。しかもこの男によれば、グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツはオーストラリアで服役後、小説のお陰か金持ちになり、ムンバイに戻ってきて堂々とヤクをやったり、古くからの友人のこの男に様々な便宜を図っていたというのだから、大したものである)
この小説には、インドとムンバイのむせ返るような熱気と騒音が詰め込まれている。作者がインドを愛していなければこうした作品を書くことは絶対にできない。そのためか、この小説はバックパッカーに大変人気があり、私も旅の途中にこの小説が日本人食堂に『深夜特急』と一緒に置いてあったのを見たことがある。
ここまで書けばもう説明するまでもないが、私はこの小説に登場するムンバイに憧れて、ムンバイに行くことを選んだのである。もちろん、この小説の中に登場する場所を訪問するだけで、リン・シャンタラムのようにとてつもなく劣悪な刑務所に収監されたり、スラムで生活するつもりはなかったわけだが。



(適当にフォート地区のあたりをブラブラして、暗くなってきたらカフェ・レオポルドで飯にするか)
私はローカルトレインに乗る前に、そんな風に予定を立てていた。「シャンタラム」の中には、フォート地区がよく登場する。フローラの泉や、壮麗なインド門、タージマハル・ホテル等など、ムンバイといえば誰しも思いつくような場所ばかりだが、中でもリン・シャンタラムが通いつめていたバー兼レストランが、カフェ・レオポルドである。
このカフェ・レオポルドは、創業100年超という、外国人に人気の超老舗レストランだ。ここにおよそ30年前、リンやカーラ、その他の多くのシャンタラムに登場した人々が、このバーに通い詰めては酒を飲み、悪事の相談をしていたのである。
更に2008年のムンバイ同時多発テロでは、『外国人に人気だから』という理由で近隣の警察署やホテルともども爆破されたこともある。それでもなお普通に営業しているのだから、実にタフでロックだ。シャンタラムの世界を味わうのに、このバーを於いて他にない。私はフォート地区をぶら付いて腹を空かせると、さっそくカフェ・レオポルドに飛び込んだ。


(ちょっと想像してたのとは違うけど、えらくお洒落だ)
カフェ・レオポルドは6時過ぎから既に大混雑しており、一階のレストラン席は満席、二階のバー席ならなんとか空いているとの事で入れてもらえた。
早速二階のバー席に座る。室内は青い照明で照らされ、ダンス・ミュージックが流れ、たくさんの白人の観光客が楽しそうに歓談していた。
普段こういうところにはあまり行くことがないし、客は私一人だけ東洋人だったので何だか自分一人だけ場違いな気がしたけれど、考えてみれば他の連中だって単なる観光客だ。それに、せっかく来たのにいちいち気後れなんてしてたらつまらない。
そう思ってスタッフにオススメのメニューを注文すると、これがまたやたらと美味しかった。
(すごい。やっぱり100年も店を続けられるような店は違うな)
お値段は残念ながら安くはなかったけれど、それからはますます、ムンバイの街が楽しくなってきてしまった。
私は、この雑然として、危険で、混沌としたこの街がどうやら気に入ってしまったらしい。
住みたいのかと言われたら、もちろんそうではないと思う。ただ、もしかしたら、今以上にヘンテコな出来事に出会えるんじゃないか。もしかしたら、シャンタラムのように、どこかの通りを曲がったら、そこがムンバイの裏社会に通じる裏路地だったりするんじゃないか。
そんな風に、なんだか街全体が1つのアトラクションのように感じたのだ。ニューデリーでジャブを食らって落ち込んだ気力は、ムンバイで一気に盛り返してきた。
それからまる三日間、私はフォート地区を中心に街を廻ってみた。もちろん、移動手段はオートリクシャーとあの危険なローカルトレインで、晩飯は3日連続、カフェ・レオポルドに入り浸った。
オートリクシャーもローカルトレインも相変わらず危険で、客車の中でipodをうっかり落とした時には、それを拾おうとしたインド人にタカられそうになったりと、思わぬ失敗もした。


混沌と危険に満ちたムンバイは、それでもなお美しい場所だった。ガンディーが住み暮らした住まいも残されているし、壮麗なインド門と海のコントラストは実に魅力的だし、インド門そばの船着場から出ている船に乗れば、美しい遺跡の残るエレファント島にも行ける。


ムンバイに居た三日間に、「シャンタラム」にあったような危険で過酷な出来事は、さすがに起きなかった。けれども、私の心のなかに、猥雑にして壮麗なムンバイは、強く刻み込まれることになった。いずれまた、この地に戻ってくることもあるはずだ。ムンバイはまさに、私にとってのインドそのものになった。

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