ドバイのユースホステルのルームメイトは、60代のハンガリー人の男性、ギュルギさんと、サウジアラビア人の男性アヴドゥッラーさん、そしてオランダ国籍でオランダ人とガーナ人のハーフという青年だった。
オランダ人の青年は、私がやって来たその日のうちに、モスクワに行くと言って出発していき、残ったのはギュルギさんと私、そしてアブドゥッラーさんの三人だった。
ギュルギさんは元はハンガリーで食品や薬品のバイヤーをしており、共産党政権時代から西側・東側の各国にしばしば出張していたという人だった。何となく、若いころのショーン・コネリーを思い起こさせる知的な顔立ちに、穏やかな笑顔を浮かべた人。今のように自由に海外に旅行できなかったであろう共産党政権時代に、海外のあちこちに出向いていたというのだから、きっと当時からかなりのエリートだったのだろうなと思った。
一方のアブドゥッラーさんという人は、ギュルギさんとオランダ人の青年によれば「サウジアラビアのミリオネア」だとかで、本人は否定していたが金持ちらしいということだった。彼は文字通り1日中部屋の中で寝て過ごしており、朝から晩まで眠り続けたあと、深夜になると起きてきて何処かに出掛けて行く変わった人だった。本人曰く、「国ではいつも忙しいからここでは寝ていたい」ということだったが、おかげで朝から晩まで彼の眠りを邪魔しないよう、常に部屋では物音を立てないように注意しなければならなかった。
「昨日は何処かに行ったかね?」
砂漠のツアーから一夜明けたクリスマス当日、私はギョルギさんにそう聞かれて、「ええ、昨日は砂漠ツアーに。砂漠の中で夕食を食べてきたんですよ」と答えた。
「今日はこれから何か予定は?」
「そうですね、別に決まっていないですが、ビーチに行ってみようかなと」
「そうか、それならジュメイラ・ビーチに私と行かないか? アブドゥッラーも行くと言っているから。ビーチに行った後、ブルジュ・カリファに行くんだ」
「ジュメイラ・ビーチですか! 行きます!」
ジュメイラ・ビーチは、ドバイの中でも上質なビーチとして知られた有名どころで、無料のジュメイラ・オープン・ビーチと、有料のジュメイラ・ビーチの二箇所がある。しかし、有料でも500円程度で脱衣所なども使えるとあって、私たちはジュメイラ・ビーチに行くことにした。
ホステル前のバス停からバスに乗り込んだ。ジュメイラ・ビーチに近づくと、天気はからりと晴れ上がって、遠くに天高く聳えるブルジュ・カリファが、陽光を反射してキラキラ光っている。気温は三十度以上もあるが、夏にもなれば四十度以上がザラだというから、今が一番いい時期だ。
よく晴れた天気に、白い砂浜と青い海、そして浜辺で身体を焼く美男美女たち。そしてビーチからは、遠くにあの有名な「ザ・ワールド」の工事の様子も見ることが出来る。これ以上ないロケーションだ。
「こりゃ、いいとこですね」
「そうだろう? 私はもう何回もここに来ているよ」
「あそこでパラソルとビーチチェアーを貸し出してるみたいですよ」
「パラソルとタオルは借りるとしよう。ビーチチェアーは私は使わないが、使いたければ借りたまえ」
「そうですね、じゃ両方借りましょう」
そう行ってパラソルとビーチチェアーを借りて、私たちは砂浜に小さな日陰を作った。あとは、脱衣所に入って着替えると、後はビーチに出るだけ。
「僕らは着替えます。アブドゥッラーさんは?」と聞くと、彼は、「私は泳がないからここにいるよ」と言って、パラソルの下にピクニックシートを敷いて座った。
着替え終わって、私とギュルギさんは早速海に入った。ビーチは海の中も整備されているらしく、潜ってみても小さな貝殻のほかには、石やらクラゲやらウニやらといった危険なものは見当たらない。
ひとしきり泳ぎまわると、時刻は1時近くになっており、アブドゥッラーさんもギュルギさんも、パラソルに戻ってきていた。
「昼でも食べようか。どうする?」
「いいですね。何処で食べますか? そこにハンバーガー屋がありますよ」
そうギュルギさんと話していると、アブドゥッラーさんは「私はブルジュ・カリファに行くよ」と言って、一人で去って行ってしまった。せっかくのビーチなのに、泳ぎもしないなんて、変な人だと私は思った。そういえば、彼は「海水は目にいい」とか、なかなか海底まで潜るのは難しい、という私に対して、「そんなはずはない。海水なんだからかえって身体は沈むだろう。プールで潜るより簡単なはずだ」とか、変なことを言っていた。もしかしたら、彼には海で泳ぐ習慣はないのかもしれない。ムスリムだから、人前で裸になるのも抵抗があるだろう。
二人してハンバーガー屋でランチを取った後、私とギュルギさんは二人でビーチで泳いだり休んだり、浜辺をゆったり話をしながら歩いたりした。
話題はいろいろだ。ハンガリーの事について、日本の大震災の事について、原発事故の問題について。
私はうろ覚えの知識を活かして「ハンガリーの共産党は実に賢かったと思います。ミクローシュ・ネーメト首相の時でしたか、自主的に共産主義を辞めて、民主化しましたし、東ドイツ市民を汎ヨーロッパ・ピクニックでオーストリアに出国させましたし。他の国の共産党はもうないですが、今もハンガリー共産党は存続してるわけですから、凄いですよ」と話すと、
「ハハハ、君は結構ハンガリーの事を知っているじゃないか。私はあまり日本の事を知らないのに」と、ギュルギさんは楽しそうに笑った。
その後、陽も傾いてきて、私とギュルギさんは二人で久しぶりのフィリピン料理を食べた後、ブルジュ・カリファに向かった。夜になってライトアップされたブルジュ・カリファを見たいと思ったからだ。
バスを乗り継いで到着したブルジュ・カリファは、夜空を貫かんばかりに高く聳え、美しく光を放っていた。人類の創るビルはどこまで高くなるのだろうと、私はそれを呆然と眺めていた。
「ブルジュ・カリファでは噴水ショーをやっているから、それも見よう」
「いいですね、行きましょう!」
ブルジュ・カリファの根本に広がるドバイ・ファウンテンには、既に噴水ショー目当ての観光客がぎっしりと押し寄せている。私とギュルギさんの二人は、ブルジュ・カリファと噴水ショーが一緒に写真に収められる場所を見つけて、そこに陣取った。
そして、噴水ショーは始まった。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」とともに、泉が煌々とライトアップされ、噴水が踊り始める。
あちらでも、こちらでも、まるで水が踊るかのように、スリラーに乗せて水が舞う。
噴水は、自由に、優雅に、白鳥の首のような優雅な曲線を描いて空中に美しい絵を描いていた。
(すごい…)
こんなのは見たことがない。まるで、水と光が爆発したみたいだ。
やがて曲が終わると、噴水もまた一斉に盛大な水しぶきを挙げて、静まり返った元の泉に戻った。周囲からは、歓声と拍手が響き渡った。
「どうだった?」
「よかったです…見れてよかった」
「そうだろう…」
私とギュルギさんは、余韻を残しながら、ブルジュ・カリファを後にした。
「これからはどこを旅するのだね?」
「はい。これからはアフリカのソマリランドに行って、それからエジプトとイスラエルと…それが終わったら、ヨーロッパにも行くつもりです」
「そうか。もしハンガリーに寄ることがあれば、私に連絡をくれたまえ。ブダペストを案内しよう」
「本当ですか? ありがとうございます!」
こうして私は、また新たな旅の仲間を手に入れたのである。
ギュルギさんとの再会は、後にハンガリーで実現することになる。
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