2013年2月4日月曜日

ロマンスグレーの悪魔(インド連邦・ゴア、第60~62日目)

ムンバイの次に、私は前述のダハブシールのエージェントに立ち寄る都合や、ソマリランドを訪問する都合を鑑みて、利便性の良いドバイの街に行くことにしていた。しかし、私は急に、ドバイに出発する前に、ムンバイの南にあるインド洋に面したゴアという場所に立ち寄ってみようと思いついた。
ムンバイまでの旅路もなかなかに面白おかしいものではあったけれど、次にインドに立ち寄れるのは何時になるのか分からないから、もう一つくらい街を見て回ろうと思い立ったのだ。何より、ゴアからはドバイに行く航空便が就航している。ムンバイに戻ることなく、ゴアを見物してから、ドバイに向けて出発することができるわけだ。

ゴアは、かつてインドにあったポルトガル領の植民地である。ポルトガルがこの地をインドから獲得して以来、この地は貿易港として大変栄え、「ゴアを見たものはリスボンを見る必要なし」とまで言われたという。
しかしその後ゴアは衰退したが、インドがイギリスから独立した後も、ポルトガルはしぶとくゴアを保持していた。やがて1960年代に入ると、インドはポルトガルにゴア返還を迫ったが、独裁体制下にあったポルトガルはこれを拒否。怒ったインドは、大量のインド人をゴアに送り込み、実力でこれを占拠してしまった。やがて、ポルトガルでは民主主義革命が起こり、政権が交代。時代の脱植民地主義の流れから、ポルトガルはインドのゴア併合を追認することになった。
こうした歴史から、他のインドの地域とは少し違う文化を持っているのがゴアである。ポルトガル領時代のゴアはそのままゴア州になり、ゴア地域だけで非常に小さな州を形成している。
以来、この地はヒッピー達の聖地の一つになり、白人たちが好んで押し寄せるビーチリゾートになっている。ゴア・トランスというジャンルの音楽が生まれたのもここだ。ちなみに、「シャンタラム」の主人公リンが、ムンバイから姿を消したヒロインのカーラがここにいることを突き止め、未練がましく追いかけた挙句、フラれてしまったのもこのゴアである。

ゴアの空港に降り立つと、椰子の木があちこちに植えられており、南国の雰囲気は更に色濃くなった。ムンバイと違い、州とはいえあまり大きな都市を持たないゴアは、目に飛び込んでくる緑の量が格段に多い。便利な公共交通機関もあまりなく、私は安宿の集まるビーチエリアまで、タクシーを使って移動した。
車窓からゴアの町並みを見物していると、ゴアにはキリスト教徒が非常に多いのがすぐに見て取れた。運転手たちは、軒並みフロントガラスの手前に十字架を提げている。バスにも「In God We Trust」のペイントが施され、道路のわきには、幾つもの聖母マリアやイエス・キリストの白い小さな祠が建てられているし、教会もあちこちにある。その上に雰囲気は南国のイメージなので、インドの民族衣装を纏った女性たちが街中を歩いていなければ、うっかりフィリピンのどこかの田舎町と勘違いしそうな雰囲気を漂わせている。

と、ここまで仰々しくゴアについて語ってきたが、ゴアではこれと言って特別なことは何もなかった。初めの予定では特に行く予定もなかったし、ここに来たのもビーチを堪能しようと思ったからに過ぎない。


私は三日間、ビーチ近くの安宿に滞在したが、インド洋に面した浜辺は実に魅力的で、温かい海に入って潜ったり、波にぶつかって楽しんだりした。一人でなければ、あるいはクラブやパーティが好きな人ならもっと楽しめたのだろうが、あいにく私はそうではないし、これと言った知り合いを作ることもなかった。
しかし、ゴアにはもう一つ面白いものを見つけた。それは、有名なアイスクリームチェーンの「バスキン・ロビンズ」であった。この狭いゴアのビーチエリアに、バスキン・ロビンズが二件、他にもピザ・ハットなどの有名チェーンがあるのだが、このバスキン・ロビンズは不思議なことに、チェーン店の雰囲気が全くしないのだ。
それよりもどちらかというと、ただの個人商店のような感じがする。実際、隣には雑貨屋さんがあって、同じ人が経営しているらしかった。なんだか可愛らしい佇まいだ。このレベルでOKなのなら、うちの地元にもじゃんじゃん出店してくれればいいのにと思ってしまった(確認したら函館にも1件はあるにはあるが、ここにはこの狭い範囲だけで2件、空港近くの街にはもっとある)。


ちなみに最初のうちは、ポルトガル領時代の遺跡などを見てみようかと思っていたのだが、あまりにもビーチの安宿エリアから遠すぎることもあって、結局行かずじまいになり、海で泳いだり、ビーチエリアをスクーターでブラブラするだけに終わってしまった。


ゴア滞在の最終日に、私はタクシーで空港に向かった(タクシー以外、交通手段がないのだ…)。
途中、タクシーが渋滞に巻き込まれたらしく、しばらく交差点で停車していると、運ちゃんがこう言った。
「今、首相がゴアを訪問中なんだ。この先を首相が通っているところだよ」
「首相って、インドの?」
「そうさ」
と言うことは、今シン首相がこの眼と鼻を通っているのか。
「それはすごいな。写真撮りたいね」
などと言って、私は前方のクルマの隙間に目を凝らしてみたが、何台かの車が交差点を移動している様子がかすかに見えるだけだ。やがて、交通規制は終わったらしく、また再びタクシーは走りはじめた。
その後空港に着くと、軍服を纏った男たちが沢山屯しているのに出くわした。男たちは、黒い車の腹部に金属探知機のような機器を差し込んだり、トランクやボンネットを開いて中身を確認したりしている。やがて確認が終わったらしい車に、身なりの良いスーツ姿の男たちが乗り込んで、空港から離れていく。その様子から、どうやらシン首相が来ているのは間違いないようだ、と確信した。

問題はその後に起こった。
荷物を預けて、出入国審査の列に並んで自分の順番を待っていると、突然、灰色の髪の50代くらいの出入国審査官らしい男が、私を指さしたかと思うと、
「おい、お前! ちょっとこっちに来い!」
と、私を呼びつけたのである。一見、大学教授のような風貌の男だった。
「何ですか?」と私が聞くと、その男は、「パスポートを見せてみろ!」と顎でパスポートを指してみせるので、私はその男にパスポートを渡した。
すると、その男はバラバラとパスポートを捲って、「おい! どこだビザは!」などと、他の待っている人々の前で、私に怒鳴った。
私はたじろぎながら、「19ページです」と言った。そこに、ニューデリーで貰ったビザ・オン・アライバルのスタンプがある。
「どこだ!?」
「だから、19ページですって」
「見せてみろっ!」
何なんだこの男は、と思いながら19ページにある青いスタンプを男に見せると、男は更に、「ビザ・オン・アライバルゥ!? ちょっとこっちに来い!」と、私に怒鳴り散らした。
なんで怒鳴られなきゃならないんだ、と内心苛立ちながら、私は出入国審査ゲートの向こう側に連行された。そこでもさらに、男の質問は続いた。
「これはどこで取った!」
「ニューデリーです」
「ニューデリー!? なぜニューデリーから出国しない!」
「ドバイに行くからですが…」
「ドバイ!? ドバイに何の用があるんだ!」
「観光ですが…」
「観光!? おい、お前はどこから来た!?」
「私は日本からですけど…」
「じゃあ、日本の出国スタンプはどれだ!?」
「これですが…」
「おい、日本の後に他の国に入ってるじゃないか! インドの前はどこから来たんだ!」
「中国ですって。日本を出た後にあちこち移動してきたんですよ!」
「じゃあ違うじゃないか!! 何故嘘をつくんだ!!」
(何言ってんだこのオッサン…うるせぇなぁもう、さっさとしろよ…)
私が怒鳴られている間に、他の人々はどんどん出国審査をくぐって、私達のほうをチラチラ眺めながら、出発ゲートに向かって歩いて行く。その様子にイライラしていると、この男は更にこんなことを言い出した。
「お前はニューデリーから出国しなければならない!」
「はぁ!?」
「お前はニューデリーでビザを取ったんだろう! ニューデリーから出ろ!」
(おいおい、そんな話聞いたことないぞ、冗談じゃない!)
私はもう、ドバイに向けて出発する寸前なのだ。第一、ビザ・オン・アライバルで入国したら同じ空港から出国しなければならないなどという規則は聞いたことがない。
この男は、何処かに携帯で電話をかけて、日本人がどうこう、と話すと、更に私を質問攻めにした。
「本当のことを話せ。インドではどこに行っていたんだ!」
「ニューデリーから入国した後、アーグラとジャイプールとムンバイに行きました」
「目的はなんだ!」
「(見りゃ分るだろ、どこの国にTシャツ短パンサンダルにリュック背負ったビジネスマンが居るんだよ、アホか…)だから、観光だって言ってるじゃないですか」
「お前の家族構成と財政状況について説明しろ!」
「??? …うちの父はデパートのマネージャーです。母は工場の従業員です。私は元コンピュータエンジニアですよ」
なぜ、自分が出国審査に並ぶ行列の人達に向かって自分の家族について説明しなければならないのか、私は頭が混乱してどうしてよいのか分からなくなってきた。もし、万が一本当にここから出国できないという話になったとしたら、今すぐに飛行機をキャンセルして荷物を戻し、ニューデリー行きに切り替えなければならないのに、男はいつまでも質問をやめようとしない。私はますます苛立ってきた。
「それで、旅の目的はなんだ!」
「だから観光だって言ってるじゃないですか!!」
ついつい怒鳴って、私は、男が握り締めている自分のパスポートを取り戻そうと手を伸ばした。すると、男は私がパスポートをつかめないように、自分の背後に回してしまった。
「おまえ! 本当に日本人なんだろうな! いったい中国では何をやってきたんだ!」
また同じ質問の堂々巡りだ。その時、男の携帯に電話がかかってきた。男は抗議する私を片手で制すると、携帯にふんふん、と応答している。
そうして携帯を切ると、男は突然笑顔になって、こう言い出した。
「行っていいよ」
「はぁ!?」
「行っていいよ」
男はニコニコしながら私にパスポートを返した。
「………!!」
男の急変ぶりに、私は空いた口がふさがらなかった。私はまた怒鳴りそうになるのを必死でこらえて、ようやく男からパスポートを取り返した。
この男の意味不明の質問攻めの理由は、つまりこういうことだ。
要するに、この男は見なれない東洋人の男がゴアから出国しようとしている様子を見て怪しいと考え、シン首相が来ている手前、頑張って点数を稼ごうとでも考えたのではないだろうか。
そうしてパスポートを確認するや、あまり一般的でないビザ・オン・アライバルで入国していたものだから、ますます怪しい、何かあるに違いないと思い込んだのだ。その上おそらく、この男は不勉強でビザ・オン・アライバルでは入国した空港と同じ空港からしか出国できないと勘違いしていたのだろう。
ところが、上役に確認したら問題なしということになり、さんざん私に怒鳴り散らしておきながら、あたかも最初から何もなかったような態度をとっているのだ。謝罪の言葉ひとつない。なんという厚顔無恥で、面の皮の厚いやつだろうと、私は呆れ返った。見た目は渋い大学教授のようだったが、中身はとんでもない男だった。
そうして30分近くも拘束された末、私はようやく出国審査の列に並び直すことを許された。そこで、出国審査官の女性に、「ねえちょっと、ビザ・オン・アライバルでは入国した空港から出国しないといけないの?」と聞くと、その女性は肩をすくめて、「さあ、知らないわ…」と呟いたので、私はますます呆れ返ってしまった。ここの連中は、出入国審査官のくせして、そんなこともろくに知らないのだ。肩をすくめたいのはこっちだった。

そうしてようやく、私はドバイに出ることができた。
インド。最初から最後まで、何から何まで、わけの分からない出来事が頻発する、おそろしくインパクトの大きな国だった。
まだ、見ていない場所はたくさんある。きっとまた、ここに来よう。そう思いながら、私はもう二度と、ゴアから出国だけはしないと心に誓ったのだった。

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