次の日、私はギュルギさんとアブドゥッラーさんに別れを告げて、ソマリランドに向けて出発した。
アブドゥッラーさんは繰り返し私に、「ソマリアなどには行くな。あそこの連中は狂っている。危険だ」と言っていたが、まだ行ってもいないのに「北部は安全です」などといってもしかたがないので、私は素直に「気をつけます」と言っておいた。
そうこうしているうちに、私は空港に辿り着き、荷物を預けて、エミレーツ航空のアディスアベバ行きの飛行機に乗り込んだ。ところが、飛行機は二十分たっても三十分たっても一向に離陸しない。
フライト・アテンダントのお姉さんたちが、困ったような顔をしながら、あちこちでお客さんに説明している。
「何かあったんですか?」私もそう聞いてみると、
「分かりません。何でも荷物の臨時検査とのことで、まだ出発ができないんです。乗り継ぎ便はございますか?」
「あります」
「乗り継ぎのお時間は何分ございますか?」
「ええと…1時間40分ありますが」
「そうですか…間に合うとは思いますが…」
彼女はそう言ったものの、結局飛行機が離陸したのは、何と一時間も経ってからの事だった。何が問題で荷物の臨時検査が行われたのか解らないが、ともあれアディスアベバではかなり急がなくてはならなくなってしまった。
アディスアベバ空港に辿り着いたのは、もちろん定刻より一時間遅れである。生まれて始めて見る、灼けたアフリカのサバンナ。しかし、そんなことに感慨を抱いている暇がない。私は慌てて飛行機を降りると、近くにいたサングラスのエチオピア航空のスタッフに、「ベルベラ行きはどこですか!?」と尋ねた。すると彼は、「ベルベラ? 上だ」と答えた。
階段を登って上に行くと、そこは国際線の出発ロビーであった。免税店が並び、理由は解らないがムスリムの黒人の女の子たちが、沢山ベンチに座って、私のことを珍しそうに眺めている。
ところが、ベルベラ行きの便がどこにも見当たらない。電光掲示板にも表示がない。どういうことなのだろうと慌てて別の係員に聞くと、「ベルベラ行きなら、国内線ロビーよ」と、事も無げに言われた。
国内線!? なんでソマリア行きが国内線なんだ!?
私は唖然とした。いつからソマリランドはエチオピアになったのだろう。意味が全く分からなかった。私は急いで国内線ロビー行きの連絡バスに乗り込んで、国内線ロビーに向かった。
国内線ロビーに行くと、1つしか無いらしい保安検査ゲートに、黒山の人だかりが出来ている。列に並ぶという概念がないのか何なのか、誰も彼もゲートの前に集まって、「早く入れろ」と騒いでいるらしい。しかし、ゲートの前に陣取った冷たい表情の女性検査員は、彼らを抑えてびくともしない。
こんなところでチンタラやっていたら、本当に乗り遅れてしまう。そこで私も、彼女の服を掴まえて「ベルベラ! ベルベラ!」とアピールしてみたのだが、彼女は何の反応も示してくれない。何を考えているのだろう。飛行機が遅れたんだから、急がないと間に合わないのに! 普通なら、「大変! 皆さんちょっとどいて! さあ、急いで検査して10番ゲートに!」くらいの事を言ってもいいはずなのに、アピールしようがしまいが、誰も彼も知らんぷりするばかりで、私のことなど誰も見向きもしない。
同じく人だかりの中に中年の韓国人風の男性が数人居て、私に溺れ死にかけたハムスターのような悲しげな目線を向けてきたが、だからと言ってどうすることもできなかった。
結局、私が保安検査ゲートをくぐり抜けられたのは、離陸時間が過ぎてからだった。それでも一応ゲートに行ってみると、案の定ベルベラ行きは離陸したところで、エチオピア航空のスタッフの女性たちは、「今頃何しにきたのかしらこの中国人は」というような冷たい目線を私に向けた後、頭を横にふるだけであった。
「とりあえず、国際線のエチオピア航空の窓口に行って」と言われて、私はバスで移動した空港の中を、徒歩で戻った。考えてみれば、それもかなり滅茶苦茶な話だ。空港のターミナルビルの外、滑走路や駐機場に面したエリアを、外国人が一人でウロウロしているのだが、すれ違う空港スタッフの誰も何も言わないのだ。エチオピアでテロをするのは随分簡単なことだろうと、私は苦笑いした。
その後、エチオピア航空の窓口に行くと、一人のエチオピア航空のスタッフが居たので、私は「飛行機が遅れたので、乗り継ぎ便に乗れなかった。何とかしてほしい」と説明した。
ところがこの男は、信じられないことに、「そんなはずはない。飛行機など遅れていない。私は見ていたんだ」などと主張し始めた。
何でその飛行機に乗っていた私が1時間も遅れてここに現れたのに、この男はそんなことを堂々と主張できるのだろう。大体、エミレーツ航空の飛行機を、彼が本当に遅れたか遅れてないかチェックしているとでもいうのだろうか。私はむかついて、「私はそれに乗ってたんだぞ! 嘘をついてないで確認しろ!」と言うと、「いいだろう。確認してやる」と言って、その男は窓口を出て廊下を曲がりどこかに行ってしまった。
ところが、何分経ってもその男が戻ってこない。男を探してみると、男は窓口の近くのテーブルで、なぜか書類仕事をしていた。
「おい、何をしているんだ?」と聞くと、その男はちらりと私を見ただけで、返事もろくにせず、むっつり黙り込んだまま書類仕事を再開した。
近くの椅子に座っていたウーピー・ゴールドバーグそっくりな中年黒人女性が、そんな私達の様子をニヤニヤしながら見つめていた。
やむなく、この男に頼るのはやめて、他のスタッフを待った。すると、やがて別のスタッフが現れて、彼が対処してくれる事になった。彼は通過ビザを発行し、アディスアベバ市内のホテルと翌日の飛行機のチケットをアレンジしてくれた。正直な話、ホテル代はエミレーツ航空に払ってもらいたかったが、そんな話を通すのにどれくらい大変な思いをしなければならないか解らないので、諦めてこちらで負担することにした。
その後荷物を引き取りにベルトコンベアーまで行くと、荷物だけは何故か乗り継ぎに間に合い、ソマリランドに向かってしまっていた。
「あの赤いバッグだろ? もう飛行機に乗ってったぞ」
と、エチオピア航空の貨物係はそう言った。私だけが、うっかり乗り継ぎに遅れたというのだろうか。けれど、どうして私が間に合うことができただろう?
「ありがとう。また」
「どういたしまして」
私はエチオピア航空のスタッフに握手して、彼と別れた。この人が、エチオピアで出会った最後の親切な人となった。
ホテルは、空港の近くにある比較的綺麗な建物であった。建物の周辺は工事をしているのか何なのか瓦礫だらけの殺風景な一角だったが、内部は日本やヨーロッパのホテルと比較しても遜色ない立派な作りで、Wifiも通っているし、シャワールームも綺麗で、エレベータはドイツ製の新品だった。
部屋に落ち着いてから、私はソマリランドのアンバサダーホテルが、私の迎えをベルベラ空港に送ってよこすと連絡してきたことを思い出した。
そこでアンバサダーホテルに電話し、
「申し訳ないが乗り継ぎ便に乗れず、今日は行けない」
と伝えた。すると、電話口に出たホテルの従業員は、
「なに、今日は行けない!? お前の迎えがもうベルベラに居るんだぞ! 何時来るんだ!」と、電話越しに私に怒鳴った。
「明日になる」
「明日! それじゃ、追加料金を払ってくれ!」
「追加料金?」
「そうだ。お前の護衛と迎えはベルベラ空港で一泊しなきゃならならない! まとめて500ドルだ!」
ソマリ人特有の早口で怒鳴るような口調で、彼は私にまくし立てた。
「いや、ちょっと待ってくれ。遅れたのは俺のせいじゃないんだ。エミレーツ航空が一時間遅れたから行けなかったんだよ!」
「だが、お前の護衛と迎えがベルベラに待ってるんだ!」
「そんなこと言われたって、俺のせいじゃないよ! エミレーツ航空に言ってくれ!」
「OKOK、エミレーツ航空が遅れたのは分かった! だから追加料金を払ってくれ!」
「…………」
「もしもし! もしもし!?」
私はそれ以上の交渉が無駄であると悟って、通話を切り、電話の電源を切った。
私を迎えに行った護衛と迎えの人々には悪いが、政府要人でもあるまいに、たかだかベルベラからハルゲイサまで車で片道移動するだけで500ドルなんて払えるわけがない。
後から「護衛と迎えがお前を待っている。とにかく何時来るのか連絡せよ。料金は500ドルである」とのメールがアンバサダーホテルから飛んできたが、「本日ベルベラに行けなかったのはエミレーツ航空の責任であって私の責任ではない、どうしても追加料金が必要ならエミレーツ航空に請求されたし、500ドル請求される限り私は貴ホテルには宿泊しないので了承されたし」という内容のメールを送ると、後は何の連絡も来なくなった。
何処にも出歩く気にならず、外が真っ暗になってから私はロビーに降りて、せっかくだからエチオピア料理を食べてみたいが、どこかにレストランはないか?と受付の女性に聞いてみた。
すると彼女は、「そこにホテルのタクシーがありますから、彼に言えばホテルまで連れて行ってくれるわ」と答えた。
タクシーに乗り込むと、中年のオジさん運転手は、ホテルの近所にあるエチオピア料理のレストランに連れて行った。そこは観光客用のレストランらしく、欧米人や東洋人の観光客でごった返し、民族音楽のショーも行われていた。
↑伝統芸能のダンスショー。
↑皿に敷かれたクレープのような食べ物はインジェラといい、酸っぱい味が特徴的。上に乗っかっているのはワットという煮込み料理で、色々な種類があるらしい。
私は自分が何を食べているのかもよく分からないまま、変わった味のエチオピア料理を食べ、運転手を携帯で呼んで、タクシーに乗り込んだ。
「どうだった」
「ああ、美味しかったよ」
「そうか、それはよかった」
そんな話をしながら、タクシーは大通りに出た。そのままホテルに戻ると思いきや、タクシーはホテルとは別の方向に向かい始めた。
「どこに行くの」
「まあ、いいからいいから。ところで、エチオピアの女の子どう? 美人の女の子いっぱいいるよ」
カンボジアの事が頭に浮かぶ。
「いや、いいよ。いらないよ。それよりホテルに戻って欲しいんだけど」
「まあまあいいからいいから。一泊しかしないんだろう? だったらアディスアベバの街をちょっと案内してあげるからさ」
「いや、戻ってくれないかな」
「いいからいいから…」
強いてここでホテルに戻れ、としつこく主張しなかったのが、間違いだった。オンナの話を切り出してくるタクシードライバーなど、どう考えてもろくなもんじゃないというのは、分かっていたことだったのに。
ドライバーは、ここが首相の官邸で、ここがスラム街で…とつらつらと説明しながら、車を運転し、そこらへんをグルっと回って15分ほどでホテルに戻った。
勘違いしないでもらいたいが、私は首相官邸の内部を見学したわけでも、スラム街を探検したわけでもなんでもない。車に乗って、単に15分ばかりそこらへんを廻っただけだ。
そして、タクシーがホテルに帰り着くと、ドライバーは私に向かって、こう切り出してきた。
「じゃ、80ドルな!!」
(゚Д゚)ハァ?
「…ちょっと確認したいんだけど、ブルじゃなくてドルなの?」
「そうさ、当たり前だろ」
「………」
「私も疲れているんだ、な、早く払って、お互いうちに帰ろうじゃないか(ニコニコ)」
「………」
本当に、この旅に出てからというもの、タクシードライバーくらい嫌いになった職業はない。
「あ、そう。悪いけど、ちょっとホテルに来てくれる? カネ持ってくるからさ」
私はそう言って、先にタクシーを降りてホテルに入った。そして、今にもレゲエを歌い出しそうなドレッドヘアーの受付係のお姉さんに、
「ちょっと。あんたが薦めたあのタクシー、料金80ドルとか言ってんだけど、どういうことなの?」と聞くと、彼女はあらまあ、という顔をして、
「事前に料金を決めなかったの…?」と、言った。
「………」
なるほど、そうですか、と私は思った。
ホテルのタクシーと言って薦めておいて、助けてもくれないのか。
いいだろう、ホテルのタクシーっていうから俺がすっかり油断していたのが、このトラブルの原因なんだろう。わかったよ。俺が自分でケリをつけてやる。
私は部屋に戻って100ドルをエチオピア・ブルに交換させると、ロビーで待っていた運ちゃんに、「はいこれ」と言って、300ブル(15ドル)を差し出した。これは、言い値の1/5以下の額ではあるが、私がレストランで食事をしている時に1時間ほど、客も取らずに私のことを待っていた「かもしれない」ということと、15分そこらを運転したガソリン代を加味した、最大限に譲歩した額であった。
運ちゃんの顔色がさっと変わり、彼は「ノーノーノーノー!! 80ドルだよ!!」と叫んだ。
私は引き下がらず、「だから何でそんなに高いんだよ」と聞いた。すると彼は、「ツアーをしてやったじゃないか!!」と目を剥きだして怒る。
「あんたは15分、そこらをただ車で廻っただけだろう。何で日本のタクシーより高いんだ」と私が言うと、
「日本とは違うんだよッ!!」と、運ちゃんは激昂した。
あ、駄目だコイツ。私はそう思った。まったくもってお話にならない。
ボッタクリをするのにも限度というものがある。この男は、物価の違いを理解していないばかりか、日本人なら幾らでもカネを持っていると勘違いしているのだ。ここで80ドルなど払おうものなら、この男はますますつけ上がって、外国人を狙うことだろう。そうなれば、次にエチオピアに旅行に来る日本人ばかりか、その他の国の旅行者までもが迷惑する。
「あ、そう。とにかくこれが運賃ね、じゃ、さよなら」
と、私は300ブルを押し付けて、エレベータに乗り込んだ。
背中越しに、「ウェイトッ! ウェーイトッ!!」という怒鳴り声がしたが、私は無視することにした。エレベータが閉まる寸前、運ちゃんが受付係のお姉さんに喰って掛かっているのを見たが、勝手にやっていればいいという感じだった。
部屋に戻って、しっかり鍵を掛けた。もしかしたらあの運ちゃんがやって来るかもしれない、そうなったら籠城してやる、と私は意気込んだが、結局のところ朝まで誰もやってくる様子はなかった。朝まで誰もやって来ず、次の日受付係のお姉さんが私の顔を見ても、一切何も言わなかったことが、300ブルが十分な額であることを証明している。
フィリピンに留学していた時、友人の一人が「こういう貧しいところの人が僕らにボッタクリをやるのは仕方ないと思うんです。だって、ボッタクリをしないと生きていけないんですから。僕らは物もお金の価値も違うよその国に来て居候してるんだから、彼に多少お金を多く払うのは仕方ないと思うんですよ」と言っていたことがある。
私も、その意見には賛成だし、現地人価格より多めに払ったとしても、それが日本よりも安くて、彼らの懐が潤うのなら、お互いに何の問題もないことだと思う。
けれど、だからといって何十倍という額を請求されるのは、話が別だ。
月収200ドル300ドルという連中に、15分ドライブしただけで日本よりも高い80ドルもの料金を請求され、あまつさえ「お前の国とはわけが違う」と小馬鹿にされて、引き下がるわけにはいかない。
私は、エチオピアという国に幻滅してしまった。
アフリカきっての大国であり、第二次世界大戦を除いて他国の植民地支配を受け入れることなく、太古の昔から独立を守ってきた歴史と伝統あるエチオピア。アフリカの彼方にありながら、長い歴史を持つ古いキリスト教を守り、中世ヨーロッパの人々からは東方にある伝説のプレスター・ジョンの国と言われたそんな国の人々が、この有様なのだ。
その原因は、やはり貧困であろうと思った。貧困が、彼らを泥棒と何ら変わらないボッタクリに走らせる。度を越した異常なボッタクリをすれば、観光客は幻滅し、二度とこんな所には来ないと思うだろう。そうなれば、結果的に自分の首を締めている事になる、そんな当たり前のことにすら気づかないのだ。
貧すれば鈍する。
貧困にあえぐ人はもちろん罪人ではないが、貧困そのものは罪であると、私は学んだ。
次の日の朝、私は失意に呑まれながら空港に戻り、失われた荷物を求めて、ベルベラに向かった。