2013年1月18日金曜日

ジャブ(インド連邦・ニューデリー~アーグラ、第53〜54日目)

北京を離れた飛行機は、無事に深夜のニューデリーに着陸した。極寒の中国西部を脱出し、再び私は、暑い国へと戻ってきたのである。
インドに入国する場合、日本人は通常ビザを取得しなければならないが、最近になって日本人はビザ・オン・アライバルが空港で取得できるようになった。
このビザ・オン・アライバルだが、どういうわけか対象国が「フィンランド、日本、ルクセンブルグ、ニュージーランド、シンガポール、カンボジア、ベトナム、フィリピン、ラオス」の9ヶ国という実にてんでばらばらなラインナップになっていて、どういう理由でこの何の脈絡もない9ヶ国なのか不思議で仕方がないが、とにかくビザなど取るのは面倒なのであるから、使えるものは何でも使おうという魂胆で、体当たりで受け付けカウンターに向かうことにした。

ビザ・オン・アライバルを取得するには、60ドル、パスポートサイズの顔写真、ホテルの宿泊予約、出国予定のチケット、有効期限の余裕(確か6ヶ月)のあるパスポートが必要である。これらがあれば、ビザを取らなくてもインドに入国できる。実際カウンターで、何の問題もなくビザを取得できた。
ところが、問題はインドの空港を出た後であった。予約を入れておいた宿にタクシーで向かったところ、タクシーが「夜間は道路が封鎖されて行けないよ。テロ警戒のためなんだ、ホラ見てくれ」などと言い出したのである。確かに、道道にゲートがあり、それが閉じられている。
そこで、「宿に連絡をとりたいが電話番号が分からないから近くのあいてるネットカフェに行ってくれ」と言うと、運転手は「空いてるネットカフェはこのへんにはない」と言い、「知り合い」という怪しい旅行会社に私を連行した。


その旅行会社のパソコンを借りてインターネットで宿の電話番号を調べ、電話を掛けると、今度は宿のほうが「悪いね、君の部屋はもう他人に売っちゃったんだよ! ゴメンゴメン、返金するから」などと言い出したのである。現地払いが基本のHostel Worldで予約したのに返金も何もあったものではないが、そんなことより予約を無視して他人に部屋を渡すとは、どういう神経をしているんだ?
「インドではそれが当たり前なんだよ。高く買ってくれる人に優先して売るのはよくあることなんだ。インド人だって余所の州に行くときは宿を取ったり列車の席を取ったりするのは大変なんだよ。インドでは金が全てなんだ」などと旅行会社のオッサンは流暢な日本語で言った。しかも彼らの話によると、ニューデリーでは祭りの期間中に入っており、宿はどこもパンクしている状態で今から宿など取れるわけがないというのだ。
話の雲行きは、さらに怪しくなりはじめた。
「よくわかったよ。じゃあ、空港に戻る」というと、この旅行会社のボスは、
「無理だ」と言うのだ。
「なに? なぜ?」
「空港に入るにはチケットの予約書が要る。それがないと入れない」(これは後で確認したところ事実だった)
「じゃあ、またインターネットを貸してくれないか。ネットで宿を探すから」
「いや、それは駄目だ。セキュリティの関係でネットは関係者以外には使わせてやれない…」
「さっき宿の電話番号検索させてくれたじゃないか。金は払う」
「いや、だめだ」
「…」
本当にこの時、ネットで事前に見つけてあった、空港の近くにあるもっとちゃんとした、値段も手頃で評判もいい別のホステルにしておけばよかったと心の底から後悔した。そこだったら、空いていたかもしれないのに。そもそも、祭りとやらが本当にやっているのかどうかも怪しいが、夜中だから確認のしようがない。そのホテルの住所も名前も控えていなかったせいで、今からそのホテルに鞍替えすることも出来なかった。
「それで、この後はどこに行くんだね」
「タージマハールを見学してからムンバイに行くつもりだけど」
「よし。まず今すぐここを出発してアーグラに行く。アーグラでタージマハールを見る。その後、ピンク・シティーのジャイプールに行く。それからブルー・シティのジョードプルに行こう。その後はウダイプールだな。それからアフマダーバードに行って、最後にムンバイに着くのがオススメだ。金額はこれだ」
「ちょっと待て!」
あれこれと弾丸のように、希望してもいないのにルートを次々と決め始める旅行会社のオッサンに、私はイライラし始めていた。
「そんなことこっちは頼んでないんだよ。もういい分かった、今すぐデリーからムンバイに行く飛行機を手配してくれ。それでいい」
「おいおい、タージマハールには行かないつもりか? ウダイプールは? ジョードプルは? 何が気に入らないんだ? 値段か? 飛行機が嫌なら、列車に変えることもできるぞ」
「全部だ。全部気に入らない」
これは本音だった。この時、既に深夜の三時近くを回っていた。朝、中国の西部を出発して、十数時間も掛けてインドまで辿り着いた挙句、宿に裏切られ、一息つくことも許されず、夜中の三時まで営業している怪しい旅行会社に連れ込まれて勝手にツアーを組み立てられて、どうして愉快な気持ちでいられるだろうか。しかも金額もぜんぜん安くないのだ。
「うーむ。じゃあどうしたいんだ。これはオススメのルートなんだぞ!」
などと旅行会社のボスは言うが、初日からこの有様なせいで、市川くんのブログや、タイで出会ったインドと犬が大好きなキモトさんから見聞きして膨らませていたインドへの期待と希望は、針を刺されて空気の抜けた風船並みに萎み、もう二度と回復しないのではないかというところまで落ち込んでいた。
「とにかく、ジョードプルもウダイプールもアフマダーバードもない。行かない」
「よしわかった、じゃあこうしよう、今からすぐアーグラに行く。タージマハールを見て一泊する。その後ジャイプールに行く。ジャイプールで観光して二泊し、飛行機に乗ってムンバイに行く。それでどうだ。それなら値段はこれだけだ。これがラストプランだ!」
と、最初の金額から半額以下にまで値切られた額が提示された。
「…」
それでもまだ高かったが、他に選択肢もなく、私はこのプランで行くことを承諾した。疲れていたのもあるし、一刻も早くとっととニューデリーから出たいという気持ちになっていたせいもあった。私が承諾すると、一人の若い男性が部屋の中に入ってきた。
「よし。じゃあ、彼が君のドライバーだ。君をアーグラとジャイプールに連れて行ってくれる。いいドライバーだったらチップを渡してやってくれ。よい旅を!」
こうして朝の四時、私とドライバーの二人は、アーグラを目指して出立した。真っ暗闇の道中、珍妙なホーン音をかき鳴らした4tトラックが、私が乗った車をギャンギャンと追い越していった。

朝の七時ごろ、私の乗った車はアーグラにあるホテルに入った。
「外は危険だから出ないように。一眠りしたら、昼に迎えに来るから」といって、運ちゃんは何処かに走っていった。外に出るなという言葉にもしょぼくれたが、それ以上に私は眠く、昼まで何もする気にもなれないまま、眠りについた。
昼ごろ目を覚まして下に降りると、運ちゃんが気のよさそうな顔をして待ち構えていた。彼に連れられるまま、アーグラの街を見て廻る。ゴミゴミとした雑踏は凄まじく、まるで東南アジアのどこかの街に逆戻りしたかのようであり、ウシ、インド人、オートリクシャ等などが、よくぶつからないものだと感心したくなるくらい激しく往来している。

運ちゃんと二人で、「ベビー・タージ」ことエーテマードゥ・ッ・ドウラー廟を見物したついでに、近所の雑貨屋台でペットボトルの水を買い求めてみた。運ちゃんには、物は外で買わないようにとまで言われていたが、500mlの水1つ買い求める程度のことでいちいち運ちゃんにお伺いを立てていては、いくら彼にチップを払わなければならないかわかったものではない。
ところが、屋台の兄ちゃんたちに紙幣を差し出すと、彼らの差し出してきたお釣りはえらく少なかった。まるで、一桁少ない額の紙幣のお釣りだと言わんばかりだ…。
「…俺は◯◯ルピーの紙幣を出したぞ」というと、彼らは笑いながら、
「ハハハ、フレンド、俺たちゃ詐欺師じゃないさ! 安心しなよ、お釣りはこれだよ、ハハハハ!」と、残りの釣りを差し出してきた。全くもって、油断も隙もない連中である(車に戻った後、その様子を車から見ていた運ちゃんに、「いくら払わされたんだい!?」と心配されてしまった)。



その後、タージ・マハルに入り、その美しさに見とれていると、何処からともなく現れたオヤジが、「ここが写真のベストポイントだ!」などと私のカメラを引っ掴み、バシャバシャと勝手に写真を撮り始めた。嫌な予感がして、「いや、もういいって」と言ったが、「まあ、いいからいいから」などと、オヤジは更にあちこちに移動しながら写真を撮りまくる。


「今度はこっちだ!!」などと、更に大移動を始める気配を見せたので、「もういい、後はこっちで勝手に撮るから」とカメラを取り返すと、オヤジは
「わかった! じゃあ、500ルピーな!!」
などと、さも当然の如く主張した。
  _, ._
( ゚ Д゚)

「いや、別に頼んでないよ」
「君のために写真を沢山撮ってやったじゃないか! 500ルピーだよ!」
「そうか、じゃ100ルピーやるから、どっか行ってくれ」
「はぁ? 何言ってるんだ、500だって!」
「あ、そう。じゃあね」
と、私が100ルピーを引っ込めて私がタージ・マハルの奥に向かおうとすると、背後から
「ウェーイト! フレンド、ウェイトウェイトウェーイト!」
と、オヤジが追いかけてくる。
「500! 500だよ!」
としつこくつきまとうオヤジに、私は懲りずに100ルピーを差し出した。
するとオヤジはコレ以上の交渉は無駄と判断したらしく、苦虫を噛み潰したような表情で100ルピーを受け取ると、また次の獲物を求めて何処かに歩いて行った。


私と運ちゃんの二人は、そうしてタージ・マハル、猿の多いアーグラ城塞などの歴史と美に溢れる建築物を見物して廻ったが、私の気持ちは一向に晴れなかった。
私はジャブを喰らい続けていたからだ。それは、インドからのジャブであった。
中国の最後で強烈なボディーブローを喰らい、ニューデリーではボッタクリとしか思えない怪しい旅行会社に屈服する屈辱(まるでアッパーカットのような)を味わい、続いてアーグラでは、鬱陶しい人々から立て続けにジャブとフックが打ち込まれた。ボッタクリ屋台や押し売りカメラマンはそれでも何とか撃退したけれど、それはほんの些細な勝利、局地的で限定的な、いわば大局に影響のない無価値な勝利だった。


私の気力は早くも強烈なインドの世界に押し潰され、どこか体内の奥に縮こまってしまったようになってしまったのだった……。

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