翌日、さっそくユースホステルの近所から、カイロ散策を始めることにした。革命後のカイロは今どうなっているだろう。
アフリカの一部・イスラム圏でありながらも、カイロの町並みには、今までの国にない強いヨーロッパの香りが漂っている。自分がいよいよ、ヨーロッパに接近してきているのを、実感として感じる。
ホステルから地図を貰って、ようやく自分がどこに居るか分かってきた。つい最近の革命で反体制派の拠点にもなったタハリール広場のすぐ近く。市内の中心部に近く、どこに行くにもアクセスが良い。なんで運ちゃんは昨夜あんなに迷ったのだろうと、よく分からなくなってきた。
とりあえず、カイロといえば名物のカイロ博物館に行ってみようと、適当に歩いてみた。市内は少なくとも平静を取り戻しているようで、何ら緊迫した雰囲気は感じない。危険というなら、インドのほうがまだ危険なような気がする。
適当に歩き過ぎたせいですっかり道に迷ったが、ひたすら歩き続けるとビル群から抜け、急にナイル川が目の前に広がった。
雄大なナイルのほとり。古代から氾濫することによって肥沃な大地を育み、エジプトの人々の生活を支え続けてきた大河。何か感慨深いものがあるかとも思ったけれど、街に取り囲まれていては、ナイル川も地元の亀田川や豊平川と、(当たり前だが)それほど大きな違いのあるものには見えない。
カイロ博物館では、伝説的なまでに有名なツタンカーメンの仮面に会った。彼の仮面は、その他の似たような仮面が長年の劣化で古ぼけて輝きを失っているのとは対照的に、未だに怪しい黄金色に輝いている。この魔力のような輝きが、長年多くの人々を魅惑してきた理由であろうか、などと思ったりもした。
博物館から外に出て、カフェでコーヒーを飲むことにした。カフェには、数匹の猫がウロウロしている。すると、一匹の茶色い猫がやってきて、じっと私を見上げた。
(うーん、何かあげたいけど、コーヒーじゃなぁ。何も持ってないし…)
そう思っていると、その猫はひょいと私の膝の上に飛び乗って、そこで香箱座りになって寛ぎ始めたのだ。
かわいい。犬派だけど猫もいい。猫を撫でると、野良の割りにはいい餌を食べているのか、毛並みもよくフワフワしている。本当は旅先で猫など触らないほうが良いのだが、向こうからなついてきたのだからしょうがない。
それにしても、犬だらけで猫はまったく見かけなかったインドとは逆で、ここでは犬が少なくて猫が多い。国によっても、犬派と猫派に分かれているのだろうか。
(猫が飼えればいいんだけどな…)
そう思いながら、私はその猫を暫く膝に載せたまま過ごした。実家だろうとどこだろうと、今現在生き物を飼える環境はどこにもない。飼えるのは植物くらいなもので、それはなんとも味気ない現実だった。
カイロ博物館から出て、タハリール広場の方向に向かっていると、奇妙なものを見つけた。
道路の真ん中に、瓦礫やガラクタを積み上げたような山が置かれている。どうしてこんな邪魔臭いものを誰も片付けないのだろうと訝しんでいると、タハリール広場に広がる野戦基地のようなテント群が見えてきた。
↑タハリール広場に通じる道路に置かれたバリケードらしきもの
↑遠くから見たタハリール広場
(あ…これは、バリケードか!)
タハリール広場には、車両の出入りを封鎖するように、バリケードが構築されているのだ。広場の内部にはテントを囲んで屋台や出店などが並んでいるほか、あちこちに手持ち無沙汰な様子の人々が屯して、何か雑談に興じている。
そういえば、カイロ博物館のすぐ脇に、黒く焼け焦げた建物や車が、見るも無残な残骸を晒していた。あれは、革命の残骸なのか。
↑エジプト革命で焼き討ちにあった政府機関系ビル。修理されず放置されている
そこにいる人々から、何か危険なエネルギーを感じた。革命は一段落などしていない。ニュースで聞いた通りだ。まだまだ、彼らの社会に対する不満は晴らされていないのではないか。
そして、こうして人々はバリケードを作って、こうしてタハリール広場に燻っているのだ。まるで、焚き火の跡の熾のように。
流石に、テント村の内部にまで潜り込んで、彼らの輪に混ざるような真似はとても出来なかった。ソマリランドにもなかった、特殊な緊迫感がそこにあった。
↑何の用があるのか、手持ち無沙汰気味の人々が溜まっている
その後のエジプトでの旅は恙無く過ぎた。「駱駝はジェントルさ、大人しい動物さ」などというガイドの言葉とは裏腹に、どう見ても乗られるのを嫌がって怒り狂っているようにしか見えない駱駝に乗ってピラミッドまで行き、すっかりお尻も痛くなってしまった。
ピラミッドの外壁によじ登り、そこから見るカイロの市街地には、曇り空から太陽の光の柱が幾筋も注ぎ込み、実に美しかった。4000年以上ものあいだ、ピラミッドとスフィンクスは、変わらずここに佇み、時にはナポレオンに鼻を取られ、時には日本からやって来た侍の一行と一緒に記念撮影をし、そして今や、三度起こったエジプトの革命を見下ろしていた。
キリストが生まれるよりもずっとずっと前から、何を思ってそれだけの時間を黙って過ごしてきたのだろうか。
しかしもちろん、ピラミッドもスフィンクスも、そのような問いに応じることはない。
滞在最終日に、『ジョジョ』第三部で主人公一行が敵と戦ったとされるあたりを歩いた後、夜の帳の降りたエジプトの街をタハリール広場の方面に戻った。
タハリール広場の方向から、私が戻ってきた方角に向かって、5台もの救急車が列をなして、巨大なサイレン音を奏でながら疾走していった。
何があったのかは定かではないが、何かその巨大な救急車の隊列の不気味なサイレン音は、遠くまでも響き渡り、カイロの町並みに不穏な空気を齎していた。
何か、あったのだろうか…。
私は、街全体を霧のように飲み込んだ不気味な空気に不安を覚えながら、一刻も早く安全なホステルに帰ろうと、道を急いだ。
私が去って一ヶ月もしないうちに、タハリール広場周辺でまた大規模な抗議デモが起きたのは、ニュースで報じられた通りである。
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